【第五回】大木あまり句集『遊星』

大木あまり『遊星』

 

 

本野櫻𩵋十句選

3・11灯すことさへはばかれり

逝く人に声かけつづけ南風

支柱なき苺畑や雨の音

躓くや涼しき尾つぽなきゆゑに

アイマスクして梟を思ひけり

蒸し浅利大盛りにして隙間あり

さよならは朝顔に水あげてから

春ショールふはりと我は根なし雲

ぶらんこの鎖のよぢれ西日かな

死神は美しくあれ膝毛布

 

郡司和斗十句選

死神は美しくあれ膝毛布

こほろぎや風呂場のタイル一つ欠け

松の木のまだ濡れてゐる夜店かな

水の音なき水の辺のあやめ草

蒸し浅蜊大盛にして隙間あり

囀や立方体の友の家

かなかなとゐてすこしだけ賢くなる

あかあかと減る楽しさやかき氷

長き葉に蝶たれ下がる泉かな

つぎつぎに鳥くる山の笑ひけり

 

 

 

 

魚:はじまったあああああ〜〜!!!


和:今回は大木あまりさんの遊星ということでね。


魚:結構かぶっている句もあって楽しい話になりそうですねー全体の感想としてはどうでしたか?


和:前半は世の中のシリアス、後半は自分事のシリアスが話題なっててヘビーだったね。


魚:たしかに。でもその中に、生きているからこそ見つける軽やかさもあるように感じたな。

和:同じく、滑稽みやユーモアを大切にしていると思いました。


魚:早速一句ずつ読みますか。

和:先攻どうぞ!

魚:それじゃあ、序盤から触れていくか。

 

3・11灯すことさへはばかれり


魚:句集の序盤は震災について目を向けた句が並ぶんだけどこの句はまさにそのど真ん中だったね。自分は北関東在住で、いちおうは当事者としてあの震災を経験したけど、東北の被害が大きかった場所を考えると、明かりを灯すことさえはばかれてしまうことがすごくわかるなぁ。夜にはかなり強い映像が報道されていたしね、今となって考えるとゾッとするけど当時ふつうに人が流される映像とか流れてたよね。


和:今このとき暗闇で凍えている人がいるのに自分は灯をつけていいのだろうか、みたいな感じかね。「さへ」が強く響くというか、灯すってあらためて生活をする上で必須だったな、みたいなことを思う。俺も震災のときくらいしか電気も水もない経験はない。


魚:ほんとにそうだな。でも、震災の時は住宅街に見える小さな灯りでも救われたな、ほんとうに世界が真っ暗だったから


和:たしかに。灯してくれたほうがありがたいね。なんというか、これまでの自分たちの生活が政府の適当な安全神話で作られていて、それに自分が甘えていたことに対する後ろめたさもあるのかもしれない、とも思った。


魚:あと、構造の話だけど、〈3・11〉の上五はすごいよな。


和:なるほど?


魚︰〈震災や灯す〜〉じゃないのよ。〈3・11〉ドン!なのよ。これはあれね、覚悟を感じるわね。


和:やはりそうか…「覚悟」…伝わりました…。


魚:伝わったな……なんでそんなしみじみ(笑)。


和:俺があげた句の中で関連したのだと

 

囀や立方体の友の家


かしらね。句集の中の配置的に。


魚:これって震災詠でよんだ? どっちとも読めるのよね。


和:友達の家にいってみて、そしたらいろいろ物が壊れていたり、なくなっていたり、そういうのを目の当たりにした。そういう空間ができた家をまじまじと見たときに、立方体って言葉が出てきたのかなと。

それかーたぶんこっちのほうが本筋なんだけどープレハブのことを書いているのかなと。

避難してきて白い箱みたいな家に住んでいる友達に会いに行ったときに、ああ囀が聴こえるなあ、みたいな、なんとも言えない、緊張と脱力が同時にやってくるような感じ。

一句だけ抜き取ると滑稽な句になるのがまたなんともね。批評性を高めていると思う。


魚:立方体という限りなく形式として捉えているのが暖簾に腕押し感というか、あまりにも簡単な事象としてみている感じが、制御が効きまくっているな。


和:形式的に(もしくは抽象的に)とらえたときの制御感、わかります。

他に視覚的な情報ないほうがよさそうやし、囀の選択もいいと思う。


魚:次行きましょうかね、せっかくなのでどうぞ。


和:かぶってるやつからにしようかな。

 

蒸し浅蜊大盛にして隙間あり


これはストレートに発見とか写生がうまいやつっすね。

トリビアルな句が少なめな句集だと思うんだけど、これはそのなかでけっこう目立つね。


魚:これは面白かったですね。

こういう視点はあまりさんの句では珍しいように思えるな。

〈にして〉とか簡単そうに使ってるのかっこいい。


和:〈にして〉の強調はおもしろいよね。なんか、句にできたことをすごく喜んでそうな主体像が浮かぶ……。

4回転ジャンプきめたあとの羽生くんみたいな。

でもあんまり嫌みがないのは、〈隙間〉を見つけたことの凄みがはんぱないからなんだろう。


魚:そう、それなんだよな、その喜んでる感が滲み出てる感じがあまりさんのいいところで、言葉にわたあめぽい軽さがある、ちゃんと甘いけど質量の軽さというか、言ってる意味薄いとかではなく、なんかうれしそうなときがありそれが読んでいて伝わる感。

 

さよならは朝顔に水あげてから


魚︰これはずっと好きな句なんだけど、これって道場破りみたいなことしている気がして、俳句って言いたいことをむしろ制御したいよねみたいな前提があるけど、ずっと感情だけで殴ってくる感じなのよね。作中主体の気持ちだけを考えたら、さよならは寂しい、けど朝顔に水をあげることで少し整理していて、でもあげおわるまではそばにいて欲しくて、そういうあたりまえの寂しさとか後ろ髪引かれる感じを、整理の時間である水やりに変換をしていいるのが“やばい“と思うわけです。


和: aの音の繰り返しがあたたかいイメージを連れてくる感じが俺はあったかなー。


魚:たしかにね、韻律としても柔らかいイメージやね。


和:字面もいいよね。

「さよなら」と「朝」が近くに配置されているとそれだけで謎の爽快感があるというか。

「水」もそうか。


魚:モチーフも良いですね...…。


和:モチーフね、さよならはストロングゼロ飲んでから、だと台無しやからな……。


魚:ありえん。最っっっっっっっっ悪や..........。


和:痛すぎるな。


魚:次は、なんかね、あまりさんの独特の楽しさの話したから、それに少し関連して。

 

春ショールふはりと我は根なし雲


この句は前提というか、他にも「遊星」には沢山の「雲句」があって、そこと読み合わせるとなんだかじんわりする。

前提として、句集にずっと存在している死とか苦しさみたいな部分に深く意味付けて読むというよりは、あくまで優しい読みをしたいんだけど。

例えばね、

 

母の日の掴めるほどに雲近し


とか

 

アッパッパ空には根なし雲ばかり


とか

色々な雲を読んでるから、それが自分自身だって最後の方に言われるとなんか面白い感じしちゃって。


和:確かに猫もやたら出てくるけど雲もやたら出てくる句集や。

雲句は割とどれもユーモア路線だね。母の日の~とかはちょっぴり切ない。もとの句の話に戻ると、根無し雲って言葉自体が比喩的なのに、そこにさらに「我」が被さっていくところがおもしろい。意味的にも形式的にも「我」がふわふわしている。


魚:根なし雲ってなんか離俗的でもあるから、九鬼の「いきの構造」思い出すね。いきの3要素が「離俗」「耽美」「自然」なんだけどこの句はなんか全部当てはまってる気がするからいきだね。


和:次いくか。

 

かなかなとゐてすこしだけ賢くなる

 

ひぐらしと一緒にいると(私は)少しだけ賢くなるなあってだけの意味だと思うんだけど、妙な怖さがあっておもしろかった。


ひぐらしの鳴き声って「かなかな」ってより実際は「きききききき」だと思うんだけど、その鳴き声って夕方に聴くにはやや不気味というか、冷や汗がちょっと出て我に返るところがある。そこに「賢さ」を合わせてくる感覚ってあまり見たことなくて、新鮮だった。


魚:この句もおもしろいな。

「賢さ」って色々解釈できてしまって、ずっと賢ければいいってわけでもなくて、賢くないほうがいいときもあって、賢くなりたくないときもあって、かなかなを聞くと色々な概念とか本意とかを理解してしまうような冷静さを帯びるみたいな。

んー、説明が難しい。

どこか冷静になって、かなかなを帯びてしまう。

ドラマとかでさ、刑事に徐々に追い詰められた犯人が一点を見つめてボーッとしてるシーンで尻上がりにかなかなの音が大きくなる演出よくあるじゃん。あんな感じするね。


和:暗転してアイキャッチ流れる前のシーンだ。

「賢くなる」の字余りがなんか賢くなさそうなのもちぐはぐでおもしろい。「かなかな」って字面もなんかまぬけっぽいし。


魚:たしかにまぬけ感もあるかもな(笑)かわいい。


和:「とゐて」も位置関係の把握が雑でちょっとぽやっとしてるんだけど、この句ではこれで問題ないと思う。

次どうぞー。


魚:死神いっちゃいますか。

 

死神は美しくあれ膝毛布


なんというか、膝毛布まで飛ばせるのがまず凄いというか…。〈死神は美しくあれ〉までだったら彫刻とか絵画とか、美としての美になるんだけど、膝毛布としたことで、死神が本当の意味での“死”の象徴になるというかね。死と美は近いけど、膝毛布を介すと近くない。うーん、これは本当に俳句の構造的にいい部分を掬い取った作品でもあると思う。


和:読んだ瞬間、暖炉の前で椅子に座っている人の姿が目に浮かんだ……。


魚:ほんまそうな。


和:たぶんゆれるタイプの椅子。そしてなんか編み物してそう。

死神のことを考えているからといって死が近いわけではないんだけど、なんとなく自分の命のリミットを肌感覚で自覚している人って気がするよね。

そんでその死の象徴である死神に対して美しくあれって思えるある種の達観それ自体が美しい。この作家の句柄がよくでた作品だなと思う。


魚:ほんまにな。言いたいこと言ってくれた。


和:句集の宣伝用に抜かれる一句に納得いったことってあんまりないけど、これは大木さんっぽくてぴったりだと思うな。


魚:それマジでそうな。

 

あかあかと減る楽しさやかき氷


魚:はいはい、この句はあれですね。ネタバラシ中七やだね。


和:楽しさっていっちゃってるからね、でも言わずにはいられないっしょ、この楽しさは。


魚:第五句集「星涼」から《隠し翅みせて骸やいぼむしり》もネタバラシのや。

けっこうこのタイプあるんですよ。染み込んでるシロップの色がみえてうれしいよね


和:てかネタバラシ中七って呼んでるんだ。


魚:この世で僕だけね。特許持ってるよ。


和:やの切れがけっこうポイントかもね。ネタバラシ感。


魚:離れてる切れっていうか報道される時の顔ぼかしアクリル板的な「や」。


和:あーそうわかるわかる。

俳句はじめたばかりのころよくわからんくてキレてたわ。意味上切れてないけど形式的には切れてる(切れってか詠嘆のニュアンス強め)のやつね。

なんか、減る楽しさに注目できる人がいちご味食べてるのってちょっと意外かも。


魚:うわああああああああ。おもろい話でてきたなあ。


和:あ、作中主体がヴァンパイアで血をかけているのかもしれないけどね


魚:何に配慮したらそんな読みになるんだよ。ていうか減る楽しさに着目できるやつはメロンだよな。


和:いいところ突いてきた。グレープの線もある。


魚:グレープあるなあああ。みぞれのやつはイキってるからね。みぞれはがんばりすぎやもん。


和:イキり(笑)。ごちゃごちゃたくさんかけるパターンが一番ないだろうな。


魚:みんなでブルーハワイにしとこや。かけ放題のところあったの懐かしいな。


和:たくさんかけちゃうのってあれだな、男子小学生だから。やっぱ男子小学生はかき氷減る楽しさに気づかないっしょ(めちゃくちゃ発言)。


魚:気づかないなあ。増えてほしいじゃん。一緒減らないかき氷。


和:ロマンだ。ドラえもんでそういう話ありそう。

てか大木さんってドラえもん好きそう。猫やし。


魚:めちゃくちゃ言うじゃん(笑)ドラえもん好きだったらかわいすぎるな。次!

 

アイマスクして梟を思ひけり


これおもしろかったなあ。

思う句、蒼海8号寄稿の〈蛇の舌ふつと思へり雨の日は〉なんかは掲句より詩に寄ってるけど、主体が面白がってる感じがよんでてうれしかったな。


和:あ、おもろいなこれ。なんか『日常』でこういうコマありそう。


魚:でた!!!!!!!鴇田さんのときも日常の話したよ。


和:そうだったwww

評の特許とろうかな「これ、『日常』の一コマっぽいですよね」。


魚:wwwwwwwww

日常より雨宮さんシリーズとかの方がありそう。


和:「眠れない雨宮さん」って話あったら確実に作中でこの句の行為やってるな。


魚: 確実にやってるなwwww


和:アイマスクのくらやみのなかにスゥー……って浮かんでくる梟がシュールというか、じわじわおもしろいタイプの句だなー。


魚:見た目もちょと梟ぽいしね。


和:梟って森の守護者とか賢者って言うし、寝るときに思うと落ち着くんすかねー。


魚:森林浴的なね。アイマスクって森林の香りのやつあるよね。蒸気でホットになるやつ。

 

長き葉に蝶たれ下がる泉かな


和:ピントで遊ぶ句よね。

蝶のドアップからの、背景の泉に徐々に合う感じ。


魚:こういう丁寧なつくりは勉強になるよね。視点を動かさずに景色をまっすぐ捉えていく、言葉としては手前から順番通りに書いてるだけなんだけど。奥行きがあるといっきに俳句らしくなるというか。


和:空間性高めやね。なんとなく描写から、凪のような精神世界も伺える感じ。視線の誘導もうまい。上から下へなめらかに。いつ蝶が飛び立つかもわからない緊張感も同時にある。


魚:せやね。字面も涼しい句だな。

 

躓くや涼しき尾つぽなきゆゑに


魚:躓くや の切れもおもしろいし。尾っぽがないから転んだっていう言い訳も面白いし。尾っぽに涼しさをみているのもおもしろい。全部おもしろい。そしてこの脱力してる感じ、勝てないね。


和:そもそも尻尾がある四足歩行動物だったら躓くことなんかないってところから発想してるのかな。前向きにも後ろ向きにも解釈できるところが良い。


魚:そうじゃないかな、前向き?後ろ向き?進行方向のはなし?


和:ポジティブ、ネガティブ。


魚:ネガティブに読むとそれもいいね。


和:

ポジ

進化の先に尻尾をなくして躓いているけれど、こうして言葉を手に入れて俳句書いたりしているわけで、進歩史観寄りな認識を肯定している。

ネガ

めっちゃ人類進歩したけど、それゆえに業が深い‥…。

 

みたいな解釈。


魚:ぐんじくん結構深く読んだね。尻尾ほしかったなみたいな、子供っぽさというかそう言う感じで読んだからネガの寂しさそうな感じもよいね。


和:その感じはとてもわかる。


魚:涼しき尾っぽの季語の置き方はちょっと意外な感じしたな。


和:涼しき、ではない攻め方を想定していたってこと?


魚:そうだね、遊星の季語の置き方はもっと見える季語の印象だったんだよね。〈涼しき尾っぽ〉を季語ととるか無理やり無季と読むかの話はおいといてね。形容して季語化するみたいなアプローチがめずらしいかんじした。


和:みえるってのは視覚的ってことね。たしかに尻尾ないしなここには。


魚:だからもしかしたらトカゲをみて、自分が躓いて出来上がった句なのかもしれないなとおもったな。


和:憶測だけどたしかにそういう体験が作句のもとになっていそうな感はある。個人的には、尻尾がある世界線を「仮想」する考え方そのものが持つ残像性?空洞性?が「涼しい」なあ〜とも思えるので、意外と直接表れている説もある。


魚:なるほどなあ、それもあるっすねえ、いやおもしろいなあ。


和:酒飲んでるの?w


魚:そりゃあ飲んでますよ! 今日大晦日だからね!


和:そりゃそうかw


魚:もう昼間からずっと飲んでるからね。いいね大晦日はね、ずっとのんでても怒られないからね。とにかく遊星良かったですね。


和:櫻𩵋くんのあまり愛をわけてもらいました。ほろじわっとした句集でした。

 

魚:ほろじわっとね。ほんとに年末にしみじみよかったね。また来年も楽しくよんでいけたらなとおもいます!


和:よろしくさー。それではみなさんよいお年を。記事の公開は年明けてからだけども。