【第七回】相子智恵句集『呼応』

相子智恵『呼応』

 

郡司和斗五句選

ゴールポスト遠く向きあふ桜かな

日盛や梯子貼りつくガスタンク

紙吹雪固まり落ちや初芝

まゐつたと言ひて楽しき夕立かな

ハンガーにハンガーにかけて十二月

 

 

塚本櫻𩵋五句選

古着屋は他人の匂ひ冬の雲

ひもの屋の干物のための扇風機

夢ヶ丘希望ヶ丘や冴返る

阿形の口出て銀漢や吽形へ

眼前の橋灼けてをり眼とぢても

 

 

 

𩵋:まず句集全体の感想だけど、正直最初に読んだときは、あまりグサリとくる本じゃなかったんだよ。丁寧な日常と発見の句が並んでいて、わかる、わかるんだけど自分にとっては少し物足りなかったんだよね。でもちょっと積んでおいて少し経ってからぺらぺら読み返してみたときに、「半透明」の章からすごく自分にハマってきた。一発で魅せてくる句集じゃなくて、読み解きによってじわじわと侵食してくるよさがある。それからは大好きになったね。今回郡司くんの選句の提出が若干早くて、僕がメモしてたのと結構被っちゃってる感じだったから逆にみんな選ばなそうなところをセレクトしてみました!

和:その役割を期待してました、ありがとう。

和:『呼応』は発売してすぐ買って読みました。実は私も感想が近くて、あんまりハマりはしなかったんですよね。好みの問題もあるから言い訳っぽく僕のハマるラインを前もって言っておくと、第一句集だと藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』とかがツボです。

𩵋:お、じゃあこれは若干プレゼンの様相も帯びてくるな。トップはど真ん中の句を話したいのもあるしぐんじくんの奴からいこか

和:あ、じゃあ選んでええよ俺の中のいちばんど真ん中

𩵋:ゴールポストかな

 

ゴールポスト遠く向きあふ桜かな


和:グラウンドを囲むようにして桜が咲いているのかしらね。「ゴールポスト遠く向きあふ」って書くだけでこんなに空間が立体的に浮かび上がってくるんだと驚いた。百日後に死ぬワニの最終回のコマみたいに桜がわああってある絵が浮かびましたね。たぶんだけど、サッカーの試合はしていないと思う。無人のサッカーコートにゴールポストがしんと向き合っていて桜が冷酷に吹雪いている感じで解釈しました。

𩵋:やっぱりそうよね、誰もいないサッカーコートっていう感じがするね。距離を置いて向き合っている、やっぱりこういう気づきが作者の強みというか、丁寧な描写がいいと思うな。流行に左右される季語じゃないところも好感だし、桜はどう景色を見せるかが難しいと思うから、サッカー場大きく捉えたのはクリティカルだよね。

和:クリティカルいただきました。サッカーと桜っていままであったっけ、組み合わせ。

𩵋:うわっ、なんかすごいゾワっとした、たしかに僕いつもクリティカル言いまくってるな……。サッカーと桜みたことないし、むしろちかいね

和:いや、そう、どっちかっていうと近いネタを成功させるのってほどよい距離感ある取合せ作るよりよっぽど難しいなと思って。いいじゃんクリティカル言いまくろうよ。ゴールポストって存在自体は、かなり現代的なんだけど、まあでも玉蹴り遊びとして雑に捉えると、昔の人が蹴鞠の和歌を詠むときとテンションは同じなのかね。

蹴鞠の和歌詠んだ人の気持ちはわからないけど。

𩵋:ガチ読みすると……向き合うにある戦いのイメージの臭み消しみたいなところもあるよね。内容で捉えるんじゃなくて空間で捉えることで、僕らやっぱり人がいないイメージは共通してたじゃん。たぶん桜だから無人を連想するんだよね。

和:戦い、か。抜けてたな、その読み。確かに試合するしな。無意識に桜によって戦闘感を消されていた。次いこう。

𩵋:いきやす

 

古着屋は他人の匂ひ冬の雲


𩵋:よく高円寺で古着買うんですが、どちらかと言うと「古着屋」そのものが好きなんです。古着屋って狭くて埃っぽいんですけど、ほんとうに宝探し感あって最高なんですね。高円寺にペーパームーンていうお店があるんですが、ほんとうに雑居ビルの見逃しちゃうようなところにあって、急な階段登って店の扉開けると布の圧がガン!って感じで、レジ前で焚いてるお香の煙ががライトにずっと当たってるから色変わっちゃってるのよね笑

だからね、この「他人の匂ひ」っていうのはね人のお古だから他人の匂いなんじゃないんだよその場所の、カルチャーの匂いなんだよね。だから「古着屋はカルチャーの匂い」くらいのこと言ってほしかったという、そういうわけでいただきました。決してディスだけではなくて、冬の雲、絶妙だなとおもう。自分も古着屋の句つくることあるんだけど、古着屋に合わせる季語は難しい。目借時とかいいんじゃないかなと思ってつけてみたりする。でもシンプルに冬の雲はなんかいいね、狭い店から出た時の開放感もあるし、逆に狭いから外の広さを感じるのかもしれない。

和:高円寺いいですね。一回高円寺の古着屋巡りしたの覚えてる。

𩵋:いったね(笑)。

和:ただ単にお古だから他人の匂いってだけじゃないの、わかる。古着屋っていう空間に積み重なった他人性、みたいな話だなと。冬だから、コートとか着込む用の服探している場面なのかな。夏服より冬服のほうが〈匂い〉性が高いなと個人的体感としてあるから、季語選択はまあ納得する。なんか謎の幸福感ある句よな。カルチャーを感じるってそいうことか(?)

𩵋:冬服の方がにおいが強いっていう読み、すごくよいな。たしかにそうだね、生地そのもの厚さもそうだけど、冬の方が他人のそういう部分を多く感じる季節かもしれない。

 

日盛や梯子貼りつくガスタンク


和:中七下五についてはもうなんか今更言うことないな

𩵋:これ取り合わせがうますぎるよね

和:日盛にこの場面を見出したのがエグいね

𩵋:ガスタンクの熱そうな感じとうだるような熱さの中で鉄臭い油臭い感じ

和:そうなのよね、んで加えると、熱さに油とか鉄を合わせるのはあるあるそうなんだけど、ガスタンクを見つけたのってもう一段回上の目の良さだなと

𩵋:梯子なあ。張り付くなあ

和:工場萌えとかジャンクション萌えじゃないけど、ガスタンクフェチ的な意識の研ぎ方って意外と穴場だった。

そこにディティールを足す梯子ね。いい意味でのトリビア感。あっついなかガスタンクを観察して、バカでかい緑色の球体とかいう、改めて考えると謎すぎる物体の迫力をよく描いている。

𩵋:給水塔とかダムは擦られすぎた雑味みたいなものがあるけど中にガスをたっぷり貯めた球体って考え直してみると確かに面白いね

和:ガス貯めた球体ってなんなんだろうな……。本体はガスなんだけど、形がないから容器が本体みたいになるという、倒錯……。これからもガスタンクの謎を紐解いていきたいと思います。次どうぞ。

 

ひもの屋の干物のための扇風機

 

𩵋:ふつうに表記の使い分け気に入ったからとりました、

言いたいことはほんとうにそれだけだね。あとは観光地の感じでてて素朴にいいね。ひもの屋。おつけもの屋。おまめ屋。みたいな店名の表記めちゃ好きなのよね、あともっというと ばぁむくぅへん みたいなのもすき

和:あざいといけどッッそれでいいッッみたいな。干物がぱたぱたゆれて妙な楽しさがあるわね。でも干物って割とグロい見た目してるし、単純なゆかしさだけじゃないな。観光地読みは前後の句から?

𩵋:いや普通にこれは観光地に違いないて読んでた。絶妙な扇風機の角度なのよね。

和:あ、勘違いしてた

𩵋:なんやなんや

和:観光地感は確かにちょっとあって、それとはまた別の話として、主体が観光者だと桜魚さんが言っているのかと思った。主体がどういう人かは特定できないし、なんなら別に人間が存在していなくてもいい句だから、勘違いしてたという。

𩵋:そういうことか! いやあんまり考えないでちょっとある観光地感だけでしゃべってた! ただやっぱり干物のために扇風機が回ってる状態って絶妙に購買意欲をそそりそうだよね。匂いとか、その場の空気感というか

和:プロモーションとしてやってる感はあるかもね。

𩵋:臭いの打ち水ということか

和:そういう点から観光地感はあるのはよくわかる!

𩵋:そんなもんでしょうかね、シンプルによかったです

 

紙吹雪固まり落ちや初芝


𩵋:落ちや えぐいな

和:これよく落ちや、にできたな。固まり落ちってコロケーションをしれっとやってるけど別によく見る形ではないし。落つ、落ちたる、落ちにけり、落ちて、句にするときいろいろ収め方の選択肢あるけど、「落ちや」でしかイメージされない紙吹雪の動きってあるな。今ちょうど正月ですけども、やっぱ紙吹雪のごわっと感とか芝居で生の演者の動きに触れられるところとかめでたいっすよねえ。

𩵋:正月の芝居だからかなり人が入ってて、主体はちょっと後ろから客席含め座を俯瞰していると思うんだけど気づいちゃう感じがいいよね。

和:安田大サーカスということでね。

 

夢ヶ丘希望ヶ丘や冴返る


𩵋:ちょっと小馬鹿にしてるていうか、軽く呆れてる感じがいいね。つくばみらい市みたいな感じよね、冴返るだからもうちょっと深刻に嫌がってるのかもしれないけど。

和:句集に入れるのためらいそうな句というか、短歌っぽい論理で詠んだ情緒がちらちら出現しますよね。この句集。

𩵋:わかりますなぁ。帯句の群青世界も若干短歌ぽい理屈だよね。

和:そこが他の句集より評価される理由なのかなそんな単純化して言えへんけど。

𩵋:跋文とか小澤實さんの文とかでも触れられてるけど表現としての垣根は別にないんかね「俳句でも短歌でもどっちでもよかったけどたまたま俳句になった」みたいなこと書いてあった。

和:なんか書いてあったねそういえば。

𩵋:でもやっぱり作者は季語の斡旋がめためた決まってる句というより、じわじわ措辞でみせてくるタイプだと思うな。

和:でも構造はやっぱ俳句って感じやな(ふんわり)。

𩵋:そうね、でも桜はうまい。

和:地名+季語くらいの力の抜き方で作品が一つ成立するって凄いことっすよ。歌会でたまに合気道みたいな歌って評が出るんだけど、そんな感じ。

和:夢ヶ丘も希望ヶ丘も神奈川の話のよね?

𩵋:そんな特定せんでも(笑)!

いや、そんなこともないっぽいな。割と全国にあるおいおい学校名にしてるところもちょこちょこあるじゃねえか……

𩵋:希望ヶ丘小学校まじで草、再現ドラマの小学校やん

和:ああ、フィクショナルな視座がこの句の大切なところだったか。

𩵋:盲点じゃん

和:アイロニーももちろんありつつ、地名が持つ歴史の虚構性とかそういうものへの批評を読むほうがいいのかもしれない。

𩵋:希望ヶ丘なんか会議室で適当に決められてるわけだからな。希望ヶ丘が決定した会議には候補で夢ヶ丘も出てたはずだし。逆もまた然りよな……。

和:ディストピアだなあ。

𩵋:ディスコだ……。適当なこというてすみませんでした次どうぞ。

 

まゐつたと言ひて楽しき夕立かな


和:これはもうディスコだね。

𩵋:これはディスコ。

和:いやーまいったまいったって言いながら雨宿りでもしてるんかな。

和:夜降り出した雪をみて「うわ、これは積もるわ」って言うときの「うわ」みたいな、ネガティブな言葉を使いつつそこに起きたイレギュラーを味わうことってありますね。句の中で「楽しき」って言っちゃうことの意味を考えると、なんだろう、「楽しくなっちゃってる自分をを楽しむ」みたいなことが起きてるのかな。「まゐつた」って言葉のゆるさ、明るさの加減は絶妙で、内容的にあざとくなりそうなところを、軽くさせてるのはすごい。江戸っこみたいなキャラクターが浮かぶ。さっと降ってさっと止んで、雨上がりの夕暮れに涼しい風とか吹いてきちゃったりして、そういう夕立の季語パワーを利用した上五中七だな。

𩵋:僕は放課後の想像したな。通学路って雨に濡れるだけでビックイベントみたいなところあって、楽しくなっちゃってる感じを楽しんじゃってる感じわかる。

和:まあシンプルに雨降ってキャッキャみたいなノリなのもわかる。夕立だからこその余裕よな塚本くん追加で言うことなければ次でオッケー

 

阿形の口出て銀漢や吽形へ


𩵋:なかなかこの句集では異質なモチーフなんだけど、句は作者らしい面白みがあるというかね。阿吽とかカチカチによんでしまうんだけど、あの絶妙な間に銀感をみて、かつ口から口へという表現にしたのはおもしろかったな

和:阿吽と銀漢の組み合わせってイメージ過剰になるかと思ったけど、なんか意外とあっさりしてる印象だな。はじめとおわりに宇宙が挟まってる構図は、そのまんまっちゃそのまんまって感じだけど、「口出て」って言えたことが良かったのかな。銀漢が観念的な領域に収まらずに、妙な手触りをもって表れてくる感じがする。

𩵋:阿形と吽形のあいだってほんとに絶妙な距離感だよなそこに銀漢ぶち込んできたのはおもろい

流星の使ひきれざる空の丈 鷹羽狩行

こういう感じで星詠もうとすると見える範囲すべて言いたくなっちゃうんだけど、これは阿吽をふまえて阿吽に収束するから妙な面白さがある

和:あ〜、なるほど、星詠むときってたしかにそうだ。阿吽っていうフレームというか、枠をつくる視点が意外性あるか。

 

ハンガーにハンガーかけて十二月


𩵋:はい

和:月の句って取り合わせ難しいよな。

𩵋:ハンバーガーじゃつまらんしな。忙しさというか若干の余裕のなさみたいなのがでてていいかな。

和:忙しさか、なるほどいいな。俺は、ハンガーにハンガーかけるってなんか、飾り付けみたいだなと思った。誕生日のときとかにやる、折り紙の飾り付けみたいに、ハンガーが連鎖する。十二月のきらきらした雰囲気に、近からずも遠からずという感じで、かなり納得したんよ。

𩵋:飾り付けねー、その線もありやな

和:飾り付けではないけど、なんかそれっぽいなと。あとは、ハンガーの連なりが、その一年間の連なりの象徴っぽくもみえる。

𩵋:しっかり季節を考えて読むと、冬って長いコートとか着るからさ、クローゼットに入らないで外に出しておくこととかってあると思うのよね。コート掛ける用の太くて強いハンガーに明日の服とかをとりあえずかけておくみたいな感じは十二月によく合うと思う

和:ところでハンガーにハンガーかけたことある? 俺はなくて、この句は実はあるあるのようでないないなのではとないかと思ったんだけど、普通にあるあるか?

𩵋:いやあるよ、これは“あるある”でいいとおもうよ。

和:ぜんぜんあるあるか。

𩵋:なんかおもろいな

和:ハンガー×ハンガーということでね

𩵋:ラストですかね

 

眼前の橋灼けてをり眼とぢても


こちらですね

𩵋:狙いすました一句というよりは言葉がすらすら出てきた感じが、むしろ、するというか、割と全部強い言葉なんだけど言ってることはシンプルで、かつ灼けてる物も別にふつうに橋なんよね、なんか作者にしては鬱屈がある感じもするというか、ちょっと気になった一句だったなあ。

和:下五の展開が、澤調ってやつですか?

𩵋:そういえばどうなんかねえ、澤調のほんまの定義がわからんけど、それっぽいけどそうでもないのかなあ。

和:適当なこと言ったわ。澤調よくわからん。てかそんなものをあると見なしていいのかも怪しいしな。火事系の句っておもしろくなりすぎて難しいと思うんだけど、結構意味内容はすっきりしてるよね。この前の勉強会のみなちゃんの句思い出した。まなうらが白いうんぬんみたいな(みなちゃんの句は発掘できませんでした。)

𩵋:いや火事じゃなくて「灼けて」は夏の季語で、くっっっっそ熱いってことなのよ。むしろ橋の火事俳句は詠みたいな。

和:灼けてって火事扱いじゃなくてただ熱いだけか

無知無知を晒してしまったな。

𩵋:cute...////

和:まあじゃあふつうに、橋のあちあちな感じが目を閉じても伝わるぜってことね。視覚的な明るさの話じゃなくてね。あ、でも日中だろうから日に照らされて眩しくなってる、みたいなニュアンスもあるか。

𩵋:眩しい感じはめちゃくちゃあるね。なんか欄干だけ鉄製みたいな橋あるよね。ていうかそういう橋の方が多いか。

和:公園とかにあるちいちゃい橋以外は、まあふつうに耐久性の関係で鉄で骨格作るよね。表面だけ木とかにする。「眼とぢても」っていうけど、「ても」ってより、眼を閉じたからこそより灼けてる感じが伝わってくるところはあるよね。

𩵋:わかるなあ。眩しいのって目を閉じたときに光が焼き付いてるのがわかって初めて実感するみたいなところあるから

和:はいはい。ちいちゃんのかげおくり的な光の感じ方ね。

𩵋:それだわ。言いたかったの、……ということで、終わりですかね。

和:ないすぅ。

𩵋:いい句集だったな。というか勉強になった。この雰囲気なかなかない句集だから。相子さんのファンになっちゃうね。

和:初読時にはハマらなくても、他の人と読み合わせるとテクストの良い面が浮き出てくるという、読書会のシンプルな効能を感じましたね。あざした。

【第六回】大森静佳歌集『ヘクタール』

お久しぶりです。前回からかなり空いてしまったのですが、まだまだ焚火は燃えてます。

 

『ヘクタール』5首選

郡司和斗 

あなたより先に死にたしそののちのあなたの死後にふたたびを死ぬ

白壁を這う枝の影かろうじてそこにわたしはいたのだけれど

何年も泣いていないというきみが撮った桜のどれも逆光

水中から湖面をみあげていたような春、なまなまと二の腕太る

ドアよりも大きくなって眠りたいいつかあなたがいなくなる冬

 

本野櫻𩵋    

さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて

糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ

横顔というのは生者にしかなくて金木犀のふりかかる場所

祈るとき眉間に露出するものをわたしと呼びぬ夜の踊り場

録音に拍手は残るもういないひとたちの手の熱いさざなみ

 

 

郡司和斗:いままで選んでおいて触れないで終わった作品もあるから、今回からとりあえず5首喋ってから追加でさらに言及したいやつには言及する流れにするのはどうだろう。

 

本野櫻𩵋:よいと思います。『ヘクタール』を読んだ感想だけど、もちろん取り合わせる物の距離の感覚とか、言い切らない美学みたいなところもさる事ながら、自分の体とか顔とか、そこに流れる水分とか、そういう把握が立体的で凄いなあと思ったな。例えば〈切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために〉とかね、「木」という「物」という認識よりもっと冷たい「別個体」という認識、みたいな感じ。別個体と自分とのリンクと喩のバランスが気持ちいい。なんかね、SFぽい感じ。「かならず」とかね、若干マシンぽいというか。

 

郡司和斗:なんとなく、第一歌集と第二歌集の間にはすごい力の差があるけど、第三歌集は第二歌集の延長にあるなと思った。という最初の印象。身体感覚を使って異次元と繋がるタイプの歌は確かに上手い。

 

本野櫻𩵋:過去歌集は未読だから楽しみだなあ。そういう話を絡めて聞けるのは。

 

郡司和斗:どの程度読めてるか自分でもわかんないけどね。てか、桜魚さんヘクタールから読むの、なんかすげえ。先行ゆずるぜ。

 

本野櫻𩵋:それがビギナーズたまたまだよ。

 

さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて

 

表題歌だね。表題歌なのに(?)すごい好きだなあ。取り合わせがうまいのはもう言わずもがなうまいんだけど、さびしさの単位が㌶だなと思っても、なかなかネギをぶっこめない。葱がすごい。

 

郡司和斗:表題歌なのに好きって感想が出ちゃうのはわかる。表題歌、表題句って意外とハマらないからな。葱よなあ。これ葱畑なのかな。それとも一本手に持ってるイメージだった?

 

本野櫻𩵋:㌶だから葱畑だな。㌶って農家しか使わん単位だろ、ほんとは。

 

郡司和斗:やっぱ畑よな。そうすると「いまも」が結構効いてくるな。幼少期の原風景としての畑も立ち上がってくる感じ。

 

本野櫻𩵋:ガチ考察すると、ネギは「葱坊主どこをふり向きても故郷」寺山修司とか、絵本にも「ねぎぼうずのあさたろう」シリーズとかあるし、なんとなく「懐かしい」と結びつきそうな野菜かも。

 

郡司和斗:ワンピースガチ考察に負けないやつ来たやん。

 

本野櫻𩵋:ヘクタールはシャンクスの双子の兄弟だった?!

 

郡司和斗:色の見栄えもいいよね。緑、白、青が浮かぶ。

 

本野櫻𩵋:いやそうなのよね。視覚的に健康。

 

郡司和斗:ガチ考察の話に戻ると、感傷的なイメージに葱はわりと万能で合う感じしない?

 

本野櫻𩵋:会うよね、なんでかね。

 

郡司和斗:やっぱ料理でネギは万能だから……。そんなわけないけど。

 

本野櫻𩵋:くどいかもしれんが葱さらに掘ると、恐ろしいくらいそのまま店に並ぶやん。あれやっぱ葱って畑にあってもわかりやすいのもあるし、垂直に出た青いところが直線にながーく並んでるから、規則性あってなんか㌶ぽいのよね。測量もあんな感じの棒で測りそう。ネギの青いところみたいなやつ。

 

郡司和斗:葱の形状とヘクタールっていう面積の単位は確かに親和性ある。線と四角、数学っぽい感じで。

 

本野櫻𩵋:うんうん。そうね。

 

郡司和斗:次いくか

 

あなたより先に死にたしそののちのあなたの死後にふたたびを死ぬ

 

郡司和斗:これもやたら人気がある気がするけど、意味についてはどこまで汲めばいいかなあ。あなたより先に死にたしって欲望は理由次第ではそれなりに共感する。あなたの死を知りたくないから先に死にたいとか、遠回しに相手に長生きしてほしいことを伝えてるとか、色々と解釈は考えられるけど、まああんまり詰められない。んで、あなたの死後にふたたびを死ぬ、んだけど、最初はいわゆる「人間は二度死ぬ」的なことを言ってるのかと思った。でもそれだとあんまりおもしろくなくて、やっぱり本当に二回死ぬイメージを深めていったほうが良い感じがする。

 

本野櫻𩵋:成仏、的なものかなと思うよね。あるいはオタク的誇張表現の可能性もある。「ガチで三回は死んだ」的な文脈。

 

郡司和斗:気持ちがあふれちゃってる的なノリがどちらにしても共通してるかもしれんな。先に意味の話をしといてあれなんだけど、この歌はどっちかというとリズム面で採ったところがある。あなた-そののち、あなた-ふたたび、のテンポの繰り返しがハマってる。

 

本野櫻𩵋:やっぱ「そののちの」で加速する感は気持ちが良いよなあ

 

郡司和斗:そののちは速く、ふたたびはどっしり。また意味内容の話に戻るけど、なんか、死んだあと復活するのはあるあるだと思うんだけど(キリストとか)、死んだあと再死するのはそのifルートに突入した感じがしておもろい。

 

本野櫻𩵋:うわー、なかなかいい読みだな。キリストおもしろいね。いや、なんかねやっぱり安易な読みになっていってしまうのよね。死を見届けたくない取り残される悲しみもあるけど自分が死を看取りたい気持ちもあるみたいな。わりとストレートの読みだけど、他の誰にも看取られたくないみたいな独占欲がみえるのはすごいよかったな。郡司くんが詰めなかったポイントだけど。

 

郡司和斗:まあまずはその二律背反した欲望を読み取りますよね。

 

本野櫻𩵋:その上でキリストが出てくると読みも解釈も加速していいね。

 

郡司和斗:今言ってもらったやつは安易というよりか、読みの出発点な感じがするので、言葉にしてもらって良かった。すっとばした感あるので。

 

本野櫻𩵋:お、ならよかったなあ。つぎでいいかな?

 

郡司和斗:つぎええで。

 

糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ

 

本野櫻𩵋:糾弾が何かとかはよくて、「極彩色のしずけさ」ってほんとにすごいところ突いてきたなと。極彩色は、綺麗な反面毒々しくあって、しずけさに余韻が残る感じはとても的を得てると思う。

 

郡司和斗:極彩色のしずけさ、ってよく見つけたよねほんと。

 

本野櫻𩵋:しずけさ詠みたくなるのわかるけど陰陽の陽で持ってきたの驚きますね。

 

郡司和斗:糾弾って非難することだけど、字面的にモノホンの銃を連想できて、発砲後のしずけさのイメージとも重なってくる。陽の静けさ、わかる。

 

本野櫻𩵋:またいい読みしてるじゃん。いい読みしかできない病気だよもう。

 

郡司和斗:ありがとう。ふつうは陰で静けさを表現したくなっちゃうからな。

 

本野櫻𩵋:そうなのよね、しずけさは寂しさとかくすぐったい感じにしたくなっちゃうけど、意外と極彩色でもいけるんだよ。すげえなあ。

 

郡司和斗:解釈するときに糾弾を留保しておく場合、割と極彩色の話したらそれで終わるな。

 

本野櫻𩵋:糾弾は触れづらいわけじゃなくて糾弾であることが重要で、糾弾それ事態がなんであろうと極彩色の静けさがあれば成立してしまうのよね。

 

郡司和斗:糾弾の内容それ事態がなんでもいいのは俺も同じなんだけど、糾弾っていう行為に対する主体の判断はちょっと読みに行ってもええんかなとは思う。あれ? なんか桜魚さんと同じこと言ってるかもな。この歌、「なのだ」っていう終わり方がめっちゃ価値判断しているように感じるさせるんだけど、読めば読むほど糾弾のたやすさに対してどういうスタンスを取っているのかわからなくなるんよね。んでこの歌ではそこもおもしろいポイントだなと。「けれど」が論理の補助輪のようであんまりよくわからんのよね。まあ別にこういう負荷の作り方は短歌で珍しくはないけど、極彩色のイメージと相まって目眩がしてくる。トリップ感っていうのかな、そこも良さだなと。

 

本野櫻𩵋:うーんなるほどね、トリップ感ね。

 

郡司和斗:トリップてかなんか、一瞬風呂上がってくらってするやつかも。

 

本野櫻𩵋:それもうトリップなのよ。

 

白壁を這う枝の影かろうじてそこにわたしはいたのだけれど

 

郡司和斗:この歌集、何かをアピールするような短歌が目立つというか、目立ちすぎるんだけど、その中でこの歌はわりとふわっとしていて、ちょっと抜けている感じがいい。

 

本野櫻𩵋:うん。「白壁を這う枝の影」から「いたのだけど」はなんかテクニカルだね。モチーフの視点の移動が実体→影だから。「いたのだけれど」は読める。フィールド(壁)を見せてから枝をみたのに結局は影だったという。

 

郡司和斗:壁に枝の影が写っていて、そこに「わたし」が立ち寄ったか突っ立ってたかしてる。状況としては「なんかそういう経験したことあるかもな」くらいのこと。「かろうじて」にひねりがあって、「わたし」の存在がゆらいでくる。一読したときは実物の「わたし」がいると俺は解釈したけど、「わたし」もある種影のような存在に思える。「かろうじて」が倒置法みたいに上の句にかかってる感じも少しだけして、「枝の影」と「わたし」の像が重なり合うような印象も持つなと。

 

本野櫻𩵋:ていね〜、いいね、わかる。「かろうじて」たしかにかなりクリティカルにあるな。「かろうじて」読み取れてなかったけどかなりいいな。

 

郡司和斗:なんか、個人的にだけど「かろうじてそこにわたしはいたのだけれど」って感覚は日々日常を生きていてずっとある。下の句がクリティカルだからこそ、わりかしささやかな上の句が効くなあ……。あと言いさし。一首の終わり方にちょっと重みが出る。それによって「わたし」の陰影もまた見えてくるなあと。好み別れそうだけど「這う」もおもしろい。影はふつう二次元だけど、這うと言われると3cmくらい浮いてきている感じがある。あとこれは伝わるか微妙なんだけど、自分の視野の後ろにも空間を描いているところも良いな。壁に枝の影が写っていて、歌の中のカメラはそこを捉えているんだけど、カメラの斜め後ろあたりに枝本体の気配を察する。レイヤーが重層的。

 

本野櫻𩵋:うーんなるほど、言われてなんとなく理解できるな。レイヤーが重層的なのはほんとにそうやね。やっぱり「いたのだけれど」の滲み出る悔いみたいな部分と呼応するな。あるいは、いたはずだった、気づいたらいなかった...?みたいなのでもいいね。景にも精神にも虚構があるよね。

 

郡司和斗:確かに、このまま消えてしまいそうな、気づいたらいなくなってしまいそうな雰囲気。そこ詳しく聞きたいな。

 

本野櫻𩵋:そのままの意味で、景もパキッと決まってるわけじゃなくてそれこそ重層なレイヤーがある状態って複雑で不安定でもあるから虚構ぽい、影の概念とか、精神でも、そこにいた...?いたはずなんだど...という不確証な感覚がある。すると景にも精神にも虚構があるよねってはなし。虚構がわるかったか...?なんだろうどちらも不安定だよねというか。

 

郡司和斗:不安定さ、か、しっくりきた。話したいところは話せたな。次いこか。

 

横顔というのは生者にしかなくて金木犀のふりかかる場所

 

本野櫻𩵋:顔の歌がべらぼうにうまい。棺に入った状態では正面の顔を覗き込むから、という読みよりは、横顔が美しいのは生きてるからだ、という読みにしたいんだけど。まず、横顔「というのは」と客観性を持たせて主観と距離を置いたのもテクい。けど「しかない」と強いのもまたいいバランス。

 

顔の裏で顔のミイラが待っている 眉剃った夜は水を欲しがる

 

本野櫻𩵋:これも顔の歌ですきだった。ほんとに関連性があるかはわからないけど、なんとなく似てる気がする。

 

郡司和斗:金木犀の歌については、やっぱまずは棺のイメージを想起したな。その後に散歩とかしてる人の横顔が浮かんできて、金木犀が降ってくる景に繋がった。別に死者にも横顔はあるんだけど、言論空間に流通してる死者のイメージをコントロールするのがちょっとうますぎますよね。一読して「ああ確かに……」って納得する。死者って正面向きがちやん。棺もそうだし、遺影もそうだし。報道するときとかもふつう正面の写真。「というのは」と「しかなくて」のバランスは、うん、すごい。

 

郡司和斗:ミイラの歌、実はあんまりよく良さをわかってないんだけど、上の句と下の句のつながりどう読んだ? ミイラ→干からびてる→水欲しがる くらいの連想?

 

本野櫻𩵋:これちょっと言語化する能力なくて紐つけて話せない感じするから普通に好きな顔の歌ってことで読むわ。一旦仕切り直して最初から読むね。今言ってもらった金木犀は読みの出発点な感じがするので、言葉にしてもらって良かった。ふつうに素で読みの段取り踏むの忘れてた。言語空間に流通している死者のイメージもそうなんだけど、やっぱり『ヘクタール』の短歌は文章として読めるバランスの良さがあるのよね。短歌というより、短い文章という感じ。それはこの歌では「決めつけ」と「在るもの」のバランスなんだけど、詠み手の自分勝手と、実際に見えてくるもののバランスが常に最善を考えられて配置されてるよね。という意味では、他の顔の歌の

 

顔の裏で顔のミイラが待っている 眉剃った夜は水を欲しがる

 

とかも、バランス良いのよね。この歌はそのまま読めるんだけど、水を欲しがるあたりが絶妙で、ちょっと言語化難しいんだけど「逆」な感じするのよね。眉剃ると見た目としてはミイラに近づくんだけど、顔の裏のミイラは水を欲しがっているって、要は生体に戻りたがってるわけだよね。こっちはミイラに近づくんだけどミイラはこっちに近づいてくる。なんていうかなこのバランス。ぜんぶこれ。散文として良いっていうのは語弊があるといけない。短歌としてすばらしいという話の延長線上のはなしね。

 

郡司和斗:あー、おもしろいイメージやな。歌の中で主体と対象が互いに引き寄せられる感じね。てか桜魚さんが大森さんの短歌を読んで散文寄りに捉えるの意外だった。

 

本野櫻𩵋:こういう主観と客観のバランスみたいなのは結構散文のほうが気付きがあるよ。最近よんでる人で、散文じゃないんだけど、詩人の朝吹亮二さん、自分の中ではヘクタールと共鳴してた。やっぱり大森さんの短歌は韻律を強く感じるというよりかは内容と構造で魅せてくる感じがする。朝吹さんもそう。そして散文はやっぱりそういうものだから、だからわりと散文よりに捉えたくなる。というだけの話しなんだけども。

 

郡司和斗:朝吹亮二いいよね。詩集読み返すかあ。なんかあの年代の詩人の作品は割とどれも構造とかコンセプトが魅力だよね。んで、大森静佳との重なりに関しては、まあまあまあそんな気がしなくともない、みたいな。

 

本野櫻𩵋:よみかえして。

 

郡司和斗:大森さんって短歌マッピングでいくと意味内容派というより抽象とか身体感覚とか言葉とか韻律に力点を置いてる人だと思ってたけど、文芸全体で見ると比較的意味内容で魅せる人なのかもな。知らんけど。構造で魅せるはわかる。基本的に現代文芸でおもしろい作品みんな構造で魅せてくるからな。散文が傾向として内容と構造で魅せる方向に寄りがちなのもわかる。どうしても他ジャンルと比較して文章としてまとまりができちゃうもんね。

 

本野櫻𩵋:短歌マッピングではその位置なのか!

 

郡司和斗:尖ってる若手だけじゃなくておじいちゃんおばあちゃんの歌人とか全部入れるとね……たぶん。

 

本野櫻𩵋:いや、わからなくはないよ。韻律も十分素敵です。

 

何年も泣いていないというきみが撮った桜のどれも逆光

 

郡司和斗:あんまり語ることもないんだけど、他愛もなさがいいなと。何年も泣いていないきみに対してどういう思いがあるんだろう。もし友達とか恋人に何年も泣いていないって言われたら、俺なら本当にほんのちょっとだけ切ない気持ちになるかなあ。んで撮った桜がどれも逆光で、綺麗には写らなかったわけだけど、光で見えなくなっている桜への隔たりと、きみとの距離感が重なってくる印象を持ちました。歌集の中でもあんまり気負ってない感じがして、そこも好みかな。

 

本野櫻𩵋:うーん、その印象すごくいいね。僕はね、逆光の桜ってそんなに悪くなさそうでむしろ綺麗なんじゃないかなと思うね。蝙蝠傘に小さい穴開けると擬似プラネタリウムになる要領で、桜から光が漏れてる感じはちょい涙ぽくもあるね。

 

郡司和斗:あ、そこは俺も同じ。ここでいう「綺麗」はカレンダー写真的な一般的な写りの整い具合のつもりだった。逆光の方がむしろ綺麗ってのはあると思う。「葉桜の中の無数の空さわぐ」篠原梵、じゃないけれど、桜越しの向こう側に光源があって、きらきら光がこちら側に漏れる感じ。

 

本野櫻𩵋:はいはい。他愛なさが素朴な良さがあるな。大森さんの短歌、ヘクタールだけしかよんでないから偉そうなこといえんけど、なんかこっちにくる(短歌を読む)時点ですでにバランスがいいから、絶妙に深めの考察が常に気持ちいい感じがするな。

 

郡司和斗:一首のなかで意味を回収しきらないように作ってると思うんだけど、かといってシュルレアリスムとかオートマティスムみたいに辻褄が合わないようにイメージを繋いでいるわけじゃないから、読んでいて絶妙に何かを掴めた感じに読者をさせるなと思う。

 

本野櫻𩵋:本物じゃん

 

郡司和斗:本物だったらいいね。次ええよ。

 

祈るとき眉間に露出するものをわたしと呼びぬ夜の踊り場

 

本野櫻𩵋:なんかやっぱりミイラの時も話したことになっちゃうんだけど、自分と自分の皮みたいな感覚が鋭くあるよなあという思い。「無表情を褒められるとき眉間だけ破れたはなびらみたいに寒い」これなんかあわせて読んじゃうと面白かったりして。眉とか眉間とか、そこらへんが大森さんのネザーゲートなのかなっていう。

 

郡司和斗:評でネザーゲートはじめて聞いたわ。ひろく身体感覚一般が一首の跳躍を可能にする詩学だとは思う。大森さんの歌はどの歌も一様な解釈を拒む側面があるけれど、身体がネザーゲートになってくれているおかげで不思議とついていけちゃうのよね。祈るとき眉間に露出するものをわたしと呼びぬ夜の踊り場、をまず読んでいくか。祈るときは確かに眉間あたりに意識が集中する感じがするから、連想としてはそこまで負荷なくつなげられる。そこ(眉間)にナニカが露出してナニカを「わたし」と呼ぶってところに謎の迫力があるよね。眉間が窓になって小さい人がこちらを覗き込んでいるみたい。最後を「夜の踊り場」で落とすのは若干詩的既製品感あるけど、この静けさのなかでこそ四句目までのちょっとギョッとする異空間が際立つような気もする。

 

本野櫻𩵋:すごいなと思ったのは、「露出」という言葉選びで、例えば「現れるもの」とか言うこともできるんだけど、露出という若干淡白で文書的な語彙が選択されたことに、祈りの臭みを消していると言うか、祈りが若干軽薄になっていくようなものを感じるのよね。露出という言葉のイメージが祈りにかぶさってくると、祈りがスピリチュアルなものと離れていく感じがする。そして露出しているもの自体を私と呼ぶと言うことで余計にそれが強化されるという。

 

郡司和斗:あ、すげえ、そうや。露出って言葉、日常生活ではニュースでしか聞かないしね。祈りが持つ毒の部分に自覚的。

 

無表情を褒められるとき眉間だけ破れたはなびらみたいに寒い

 

これも、はなびらの良さを殺さず、それでいてはなびらって言葉が持つ過剰なエモさを「破れた」「寒い」の言葉回しで上手く脱臭していると思った。

 

本野櫻𩵋:ナイス。無表情を誉められるって言うのも若干茶化されてるかんじあるよなあ。これbacknumberのはなびら思い出したのよな。歌の内容とは全然違うんだけど、はなびらのさみしさみたいな文脈で。……無表情を褒められるをもうちょっと言及したいんだけど、茶化しの文脈を置いといて読むと。すごい一生懸命やったことがあんまり評価されないのに全然力抜いたことがすごい評価されることってあるよねみたいなのがむしろファースト読みかなと言う感もあり。無表情を褒められるも無表情であるから何かしているわけではないので、そこを褒められてしまったことへの切なさというか、ほろほろと感情が崩れ落ちて来る感じはたしかにはなびらと呼応するし、そして眉間という場所も確かにわかる気がするのよね。眉間ってなんかね、熱を持つ感じがある。

 

郡司和斗:皮肉っぽさもあるよね。無表情を褒めるって。リフレーミングみたいな前向きさはあまりない。そもそも人の表情に褒めるもクソもないと思うし。どこから目線やねんと。

 

本野櫻𩵋:そうね。確かにあんま思わんかったけどルッキズム的な文脈でもあるか。

 

郡司和斗:ルッキズムかどうかはわからんけど、表情ってその範疇なんかな?

 

本野櫻𩵋:やっぱ表情ってところが大事よな、表情ってつくるものやん。だから、無表情を褒められるっていうことのむなしいかんじなんだよね。ルッキズムかどうかわからんけどやっぱそれね。ちなみにわいは無表情だと機嫌悪い?って聞かれる。

 

郡司和斗:笑。普段の機嫌が良すぎる説あるな。

 

本野櫻𩵋:普段おしゃべりな代償で無表情を捨てなければならないの陽気なモンスターじゃん。

 

郡司和斗:俺は普段からポーカーフェイスだから何も言われんよ笑。悲しい陽気なモンスターか。

 

本野櫻𩵋:ぜったい言われないだろうなあ、闇が深すぎる。

 

郡司和斗:いやでもね。自語りにズレるけど、ふつうに子供にはビビられるわ。無表情やと。

 

本野櫻𩵋:何考えてるかわからんくて怖いんよ。子供はめっちゃ表情みるしな。

 

郡司和斗:だからこそ、「みんな俺のことビビってるでしょ!」って言うと割とウケるという笑。

 

本野櫻𩵋:(笑笑)この間Twitterでみた赤ちゃんの実験で、楽しく遊んでる母親が急に真顔になったらどうなるかっていうやつやってて。最初は気を惹きつけようと笑ったりがんばるんやけどそのうち泣き出すんよな。

 

郡司和斗:赤ちゃんのやつ気になる。後で見よ。

 

水中から湖面をみあげていたような春、なまなまと二の腕太る

 

郡司和斗:水中から水面をみあげるイメージはアニメのOPとかでありそうで、まあわかる。てかアニメ云々言わなくても、誰しも一度くらいは水泳の授業で似たような情景を経験したことあるだろうよ。そういう感じの春だなあと主体は思っていると。春って気候的には爽やかだけど、心理的にはざわつくことも多くて、その中間のぬるぬるした感傷を上の句からは読み取った。憧憬、息苦しさ、眩しさ、いろいろ混ざった感じね。そこに取り合わせとして「二の腕太る」が来るのが好きやなあ。二の腕をチョイスが妙に味ある。日本って太ることに否定的な価値観がそこそこ規範化してると思うんやけど、あんまりこの歌ではその印象はないね。むしろ迫真さを以って二の腕が太ってくる。上の句は回想っぽくて、下の句は今の話っぽいんだけど、どうだろう、「水中から湖面をみあげていたような春、その春になまなまと二の腕が太った」くらいで解釈してええんかな。

 

本野櫻𩵋:なまなまと の措辞がなかなか言えないよね。春の霞、朧みたいなところは俳句的でもあるなと思うな。ただ、気候的な部分だけじゃなくて心理的なアプローチもあるのが絶妙なポイントよね。

 

郡司和斗:「春、なまなまと」の韻律のギア変速もおもしろい。一字空けだともっとゆっくりすると思うんだけど、句読点だと前かがみにつっかえた感じがして、春の「春ッ」みたいな。俳句っぽい話でいくと、「春」と「太る」って若干近い気がするんだけど、やっぱ「二の腕」のチョイスが絶妙だと思うんよなあ。

 

本野櫻𩵋:春ッwwwウケるなその評。二の腕いいねえ。なんかあれ思い出すね津川絵里子さんの自転車と繋がる腕の句。

 

郡司和斗:あ、懐かしい。『夜の水平線』回はこちら

【第一回】津川絵理子句集『夜の水平線』 - 詩歌の焚火

↓ちな句は、

自転車とつながる腕夏はじめ/絵里子

 

郡司和斗:大森さんの歌も、二の腕を媒介として春とつながっているのかね。身体と季節の連続性というか連結って、生き物ほぼすべてが持っている基盤だから(ほら、みんな季節の変わり目で風邪ひくし)、そこが読者がこの歌に体重を預けられる要素のひとつになっているなと思います。

 

本野櫻𩵋:まちがいない。今回いい評してくれるから同意しかしてないな。

 

郡司和斗:短歌全体でいうとそういう作り方って個人的には食傷ぎみなんだけど、それでも読ませてくるからヘクタールすごいな、と感じますね。

 

録音に拍手は残るもういないひとたちの手の熱いさざなみ

 

本野櫻𩵋:最後やね。実は焚火創刊号で取り上げた堀本裕樹『一粟』回に

 

レコードの古き拍手や秋の夜

 

という句があって、これは同じテーマで俳句と短歌の違う良さが出てるからひきました。これは曲の話をしたいんだけど、俳句の方はしっとりと例えば僕はジャズとかを想像するんだけど、flymetothemoonのフランクシナトラとかね。短歌の方はロックバンドとかbeetlesとかを想像するんよね。それは「熱いさざなみ」と、短歌だからこそ言えるというか、いや逆に俳句だといえないディティールなのかもしれないけど、まさにそこにあるなって思ってすこし感動したのよね。

 

郡司和斗:おれは逆に俳句なら「熱いさざなみ」って言わなくていいことに感動している。堀本句はまあジャズやろな。句以外の本人情報を加味しすぎて解釈しているけども。大森さんの短歌は、そうねー、なんか観客が熱狂してる雰囲気伝わってくるから、確かにロックとかそっち系な気がする! レコード句についてはクラシカルな雰囲気がしみじみいいつすね。

 

本野櫻𩵋:そうなのよね、となるとやっぱりレコードのニュートラルのイメージってジャズなんやな。

 

郡司和斗:それか古い日本の歌謡曲。ショーを録音したやつみたいな。歌にもどると、「もういないひとたち」でどのくらいの前の年代かざっくりイメージしやすくなってるのが親切だなーと思う。鑑賞者側に思いが寄っていってるのも特徴というか、名もなき側へ肩入れっぽい感情ってありますよね。共感するかは別として、あるなーと。

 

本野櫻𩵋:録音に拍手は残る もういない の流れが気持ちよくていい。

 

郡司和斗:他人事のようで淡い感覚が続いていくのかと思いきや、「熱いさざなみ」で当時の匂いが思い起こされる感じというか、歌の奥にグッと寄っていくところ。

 

本野櫻𩵋:それも特徴やね。やっぱ熱狂は観客が作り出すからね。

 

郡司和斗:私からはそんなもんかな。

 

本野櫻𩵋:わいも以上や。

 

郡司和斗:じゃさいご。

 

ドアよりも大きくなって眠りたいいつかあなたがいなくなる冬

 

郡司和斗:眠る短歌すきなんよね。俺基本。ほら、俺ロングスリーパーだから。眠るとき身体がデカくなる発想、これあるなあ。デカくなるってか身体がふやけてペターンってなるっていうか。ドアの大きさだけじゃなくて平たい感じもわかるわ。んでもってこれは願望であって叶っているかはわからないんよね。いつかあなたがいなくなる冬に、ドアよりも大きくなって眠りたいわけでね。あなたがいなくなるのは、死ぬって意味なのか別れることなのかはわからないけど、どっちにしても大きな喪失やね。ドアがなんていうかな、「あなた」と「わたし」を繋ぐものであると同時に隔てるものでもある気がするな。それでここがこの歌の不思議さなんだけど、ドアになりたいじゃなくてドアよりも大きくなりたいなんだよね。「ドアになりたい」より「ドアよりも大きくなって〜たい」のほうが不思議な欲望の感じがして、主体の思考の深みを見させられたと思った。ドアと同化しつつでもドアではないというねじり。

 

本野櫻𩵋:ドアよりも大きくなるって身体感覚として“届きそう“っていう大きさなのがよいのよな。「いつかあなたがいなくなる冬」もそうなってしまう可能性があるという二つのことが絶妙に親和性がある。深読みシステム発動すると、あなたが出ていくときのドアから出ていけないようになりたいみたいな意味にも取れそうだし。そして「いなくなる冬」と断言しているのもどこか切ない。

 

郡司和斗:そうなの、届きそう感。スカイツリーより大きくなって、だと損なわれる何かがある、この歌には。てか深読みシステム発動してニュータイプになってるな。「あなたが先にいなくなること」と「いなくなるとしたら冬であること」が既に確定しているっぽいの確かにおもろい。「いつか」と「今」の時間が混ざり合うような感じ。あるいは予言、予感。詩歌の呪術っぽさも出ているようや。

 

本野櫻𩵋:「あなたが先にいなくなること」が確定しているなら寝てる場合じゃないんだよね。せめてドアより大きくなりたいみたいなね。詩歌の呪術わかるね。呪術廻戦詩歌編だね。

 

郡司和斗:まあそれか、私よりも先に「あなた」がいなくなる、と私が認識しているという解釈よりも、主体が少し高い次元から「あなた」の生を超越的に俯瞰していると捉えた方がしっくりくるか。

 

本野櫻𩵋:なるほどね。ん? それは気配がしているってことじゃなく?ってあなたがいなくなる気配がしているってこと?

 

郡司和斗:俺は勝手に意味をおぎなって「いつかあなたがいなくなる冬」をあなたが私より先に死ぬか失踪するかしていなくなるって解釈しちゃったんだけど、それだとちょっとズレるなと今気づいたの。

 

本野櫻𩵋:ほうほう

 

郡司和斗:確定はぜんぜんしてなかった。

 

本野櫻𩵋:たしかにね、確定はしてないね、そういうことね。俯瞰的な意識ってことに言い換えたいね。

 

郡司和斗:死別とか離婚みたいなリアリティの次元で下の句を読んで味わうより、その視点の構え方に言及したほうが良かったな、と思い返したという、やつ。

 

本野櫻𩵋:いや、それはあれか、あなたが近い将来いなくなると認識しているとドアよりも大きくなって眠るということと繋がりすぎちゃうということか。こうしたほうが余裕があるというか。

 

郡司和斗:意味的な話では、そうね。

 

本野櫻𩵋:僕がうまく汲めてない可能性あるけど上の句と下の句のバランスが良いということは非常によくわかった。

 

郡司和斗:いやいや、聞いてくれてありがとう。まあ俯瞰的な意識って桜魚さんが言ってくれた感じです。語り手がどの地平に立っているのか考えたほうが、最終的に意味の話をするとしても建設的やなと思ったっつぅー。こんなもんすかね。今回は。

 

本野櫻𩵋:短歌読むのいまだに慣れなくて難しいけど、少しずつ気づきがあって楽しいねえ。次回も楽しみです!

 

郡司和斗:空中戦も好きだけどできる限り一つの作品をじっくり読むやつを今後もやりたい。お疲れしたぁ!

 

【第五回】大木あまり句集『遊星』

大木あまり『遊星』

 

 

本野櫻𩵋十句選

3・11灯すことさへはばかれり

逝く人に声かけつづけ南風

支柱なき苺畑や雨の音

躓くや涼しき尾つぽなきゆゑに

アイマスクして梟を思ひけり

蒸し浅利大盛りにして隙間あり

さよならは朝顔に水あげてから

春ショールふはりと我は根なし雲

ぶらんこの鎖のよぢれ西日かな

死神は美しくあれ膝毛布

 

郡司和斗十句選

死神は美しくあれ膝毛布

こほろぎや風呂場のタイル一つ欠け

松の木のまだ濡れてゐる夜店かな

水の音なき水の辺のあやめ草

蒸し浅蜊大盛にして隙間あり

囀や立方体の友の家

かなかなとゐてすこしだけ賢くなる

あかあかと減る楽しさやかき氷

長き葉に蝶たれ下がる泉かな

つぎつぎに鳥くる山の笑ひけり

 

 

 

 

魚:はじまったあああああ〜〜!!!


和:今回は大木あまりさんの遊星ということでね。


魚:結構かぶっている句もあって楽しい話になりそうですねー全体の感想としてはどうでしたか?


和:前半は世の中のシリアス、後半は自分事のシリアスが話題なっててヘビーだったね。


魚:たしかに。でもその中に、生きているからこそ見つける軽やかさもあるように感じたな。

和:同じく、滑稽みやユーモアを大切にしていると思いました。


魚:早速一句ずつ読みますか。

和:先攻どうぞ!

魚:それじゃあ、序盤から触れていくか。

 

3・11灯すことさへはばかれり


魚:句集の序盤は震災について目を向けた句が並ぶんだけどこの句はまさにそのど真ん中だったね。自分は北関東在住で、いちおうは当事者としてあの震災を経験したけど、東北の被害が大きかった場所を考えると、明かりを灯すことさえはばかれてしまうことがすごくわかるなぁ。夜にはかなり強い映像が報道されていたしね、今となって考えるとゾッとするけど当時ふつうに人が流される映像とか流れてたよね。


和:今このとき暗闇で凍えている人がいるのに自分は灯をつけていいのだろうか、みたいな感じかね。「さへ」が強く響くというか、灯すってあらためて生活をする上で必須だったな、みたいなことを思う。俺も震災のときくらいしか電気も水もない経験はない。


魚:ほんとにそうだな。でも、震災の時は住宅街に見える小さな灯りでも救われたな、ほんとうに世界が真っ暗だったから


和:たしかに。灯してくれたほうがありがたいね。なんというか、これまでの自分たちの生活が政府の適当な安全神話で作られていて、それに自分が甘えていたことに対する後ろめたさもあるのかもしれない、とも思った。


魚:あと、構造の話だけど、〈3・11〉の上五はすごいよな。


和:なるほど?


魚︰〈震災や灯す〜〉じゃないのよ。〈3・11〉ドン!なのよ。これはあれね、覚悟を感じるわね。


和:やはりそうか…「覚悟」…伝わりました…。


魚:伝わったな……なんでそんなしみじみ(笑)。


和:俺があげた句の中で関連したのだと

 

囀や立方体の友の家


かしらね。句集の中の配置的に。


魚:これって震災詠でよんだ? どっちとも読めるのよね。


和:友達の家にいってみて、そしたらいろいろ物が壊れていたり、なくなっていたり、そういうのを目の当たりにした。そういう空間ができた家をまじまじと見たときに、立方体って言葉が出てきたのかなと。

それかーたぶんこっちのほうが本筋なんだけどープレハブのことを書いているのかなと。

避難してきて白い箱みたいな家に住んでいる友達に会いに行ったときに、ああ囀が聴こえるなあ、みたいな、なんとも言えない、緊張と脱力が同時にやってくるような感じ。

一句だけ抜き取ると滑稽な句になるのがまたなんともね。批評性を高めていると思う。


魚:立方体という限りなく形式として捉えているのが暖簾に腕押し感というか、あまりにも簡単な事象としてみている感じが、制御が効きまくっているな。


和:形式的に(もしくは抽象的に)とらえたときの制御感、わかります。

他に視覚的な情報ないほうがよさそうやし、囀の選択もいいと思う。


魚:次行きましょうかね、せっかくなのでどうぞ。


和:かぶってるやつからにしようかな。

 

蒸し浅蜊大盛にして隙間あり


これはストレートに発見とか写生がうまいやつっすね。

トリビアルな句が少なめな句集だと思うんだけど、これはそのなかでけっこう目立つね。


魚:これは面白かったですね。

こういう視点はあまりさんの句では珍しいように思えるな。

〈にして〉とか簡単そうに使ってるのかっこいい。


和:〈にして〉の強調はおもしろいよね。なんか、句にできたことをすごく喜んでそうな主体像が浮かぶ……。

4回転ジャンプきめたあとの羽生くんみたいな。

でもあんまり嫌みがないのは、〈隙間〉を見つけたことの凄みがはんぱないからなんだろう。


魚:そう、それなんだよな、その喜んでる感が滲み出てる感じがあまりさんのいいところで、言葉にわたあめぽい軽さがある、ちゃんと甘いけど質量の軽さというか、言ってる意味薄いとかではなく、なんかうれしそうなときがありそれが読んでいて伝わる感。

 

さよならは朝顔に水あげてから


魚︰これはずっと好きな句なんだけど、これって道場破りみたいなことしている気がして、俳句って言いたいことをむしろ制御したいよねみたいな前提があるけど、ずっと感情だけで殴ってくる感じなのよね。作中主体の気持ちだけを考えたら、さよならは寂しい、けど朝顔に水をあげることで少し整理していて、でもあげおわるまではそばにいて欲しくて、そういうあたりまえの寂しさとか後ろ髪引かれる感じを、整理の時間である水やりに変換をしていいるのが“やばい“と思うわけです。


和: aの音の繰り返しがあたたかいイメージを連れてくる感じが俺はあったかなー。


魚:たしかにね、韻律としても柔らかいイメージやね。


和:字面もいいよね。

「さよなら」と「朝」が近くに配置されているとそれだけで謎の爽快感があるというか。

「水」もそうか。


魚:モチーフも良いですね...…。


和:モチーフね、さよならはストロングゼロ飲んでから、だと台無しやからな……。


魚:ありえん。最っっっっっっっっ悪や..........。


和:痛すぎるな。


魚:次は、なんかね、あまりさんの独特の楽しさの話したから、それに少し関連して。

 

春ショールふはりと我は根なし雲


この句は前提というか、他にも「遊星」には沢山の「雲句」があって、そこと読み合わせるとなんだかじんわりする。

前提として、句集にずっと存在している死とか苦しさみたいな部分に深く意味付けて読むというよりは、あくまで優しい読みをしたいんだけど。

例えばね、

 

母の日の掴めるほどに雲近し


とか

 

アッパッパ空には根なし雲ばかり


とか

色々な雲を読んでるから、それが自分自身だって最後の方に言われるとなんか面白い感じしちゃって。


和:確かに猫もやたら出てくるけど雲もやたら出てくる句集や。

雲句は割とどれもユーモア路線だね。母の日の~とかはちょっぴり切ない。もとの句の話に戻ると、根無し雲って言葉自体が比喩的なのに、そこにさらに「我」が被さっていくところがおもしろい。意味的にも形式的にも「我」がふわふわしている。


魚:根なし雲ってなんか離俗的でもあるから、九鬼の「いきの構造」思い出すね。いきの3要素が「離俗」「耽美」「自然」なんだけどこの句はなんか全部当てはまってる気がするからいきだね。


和:次いくか。

 

かなかなとゐてすこしだけ賢くなる

 

ひぐらしと一緒にいると(私は)少しだけ賢くなるなあってだけの意味だと思うんだけど、妙な怖さがあっておもしろかった。


ひぐらしの鳴き声って「かなかな」ってより実際は「きききききき」だと思うんだけど、その鳴き声って夕方に聴くにはやや不気味というか、冷や汗がちょっと出て我に返るところがある。そこに「賢さ」を合わせてくる感覚ってあまり見たことなくて、新鮮だった。


魚:この句もおもしろいな。

「賢さ」って色々解釈できてしまって、ずっと賢ければいいってわけでもなくて、賢くないほうがいいときもあって、賢くなりたくないときもあって、かなかなを聞くと色々な概念とか本意とかを理解してしまうような冷静さを帯びるみたいな。

んー、説明が難しい。

どこか冷静になって、かなかなを帯びてしまう。

ドラマとかでさ、刑事に徐々に追い詰められた犯人が一点を見つめてボーッとしてるシーンで尻上がりにかなかなの音が大きくなる演出よくあるじゃん。あんな感じするね。


和:暗転してアイキャッチ流れる前のシーンだ。

「賢くなる」の字余りがなんか賢くなさそうなのもちぐはぐでおもしろい。「かなかな」って字面もなんかまぬけっぽいし。


魚:たしかにまぬけ感もあるかもな(笑)かわいい。


和:「とゐて」も位置関係の把握が雑でちょっとぽやっとしてるんだけど、この句ではこれで問題ないと思う。

次どうぞー。


魚:死神いっちゃいますか。

 

死神は美しくあれ膝毛布


なんというか、膝毛布まで飛ばせるのがまず凄いというか…。〈死神は美しくあれ〉までだったら彫刻とか絵画とか、美としての美になるんだけど、膝毛布としたことで、死神が本当の意味での“死”の象徴になるというかね。死と美は近いけど、膝毛布を介すと近くない。うーん、これは本当に俳句の構造的にいい部分を掬い取った作品でもあると思う。


和:読んだ瞬間、暖炉の前で椅子に座っている人の姿が目に浮かんだ……。


魚:ほんまそうな。


和:たぶんゆれるタイプの椅子。そしてなんか編み物してそう。

死神のことを考えているからといって死が近いわけではないんだけど、なんとなく自分の命のリミットを肌感覚で自覚している人って気がするよね。

そんでその死の象徴である死神に対して美しくあれって思えるある種の達観それ自体が美しい。この作家の句柄がよくでた作品だなと思う。


魚:ほんまにな。言いたいこと言ってくれた。


和:句集の宣伝用に抜かれる一句に納得いったことってあんまりないけど、これは大木さんっぽくてぴったりだと思うな。


魚:それマジでそうな。

 

あかあかと減る楽しさやかき氷


魚:はいはい、この句はあれですね。ネタバラシ中七やだね。


和:楽しさっていっちゃってるからね、でも言わずにはいられないっしょ、この楽しさは。


魚:第五句集「星涼」から《隠し翅みせて骸やいぼむしり》もネタバラシのや。

けっこうこのタイプあるんですよ。染み込んでるシロップの色がみえてうれしいよね


和:てかネタバラシ中七って呼んでるんだ。


魚:この世で僕だけね。特許持ってるよ。


和:やの切れがけっこうポイントかもね。ネタバラシ感。


魚:離れてる切れっていうか報道される時の顔ぼかしアクリル板的な「や」。


和:あーそうわかるわかる。

俳句はじめたばかりのころよくわからんくてキレてたわ。意味上切れてないけど形式的には切れてる(切れってか詠嘆のニュアンス強め)のやつね。

なんか、減る楽しさに注目できる人がいちご味食べてるのってちょっと意外かも。


魚:うわああああああああ。おもろい話でてきたなあ。


和:あ、作中主体がヴァンパイアで血をかけているのかもしれないけどね


魚:何に配慮したらそんな読みになるんだよ。ていうか減る楽しさに着目できるやつはメロンだよな。


和:いいところ突いてきた。グレープの線もある。


魚:グレープあるなあああ。みぞれのやつはイキってるからね。みぞれはがんばりすぎやもん。


和:イキり(笑)。ごちゃごちゃたくさんかけるパターンが一番ないだろうな。


魚:みんなでブルーハワイにしとこや。かけ放題のところあったの懐かしいな。


和:たくさんかけちゃうのってあれだな、男子小学生だから。やっぱ男子小学生はかき氷減る楽しさに気づかないっしょ(めちゃくちゃ発言)。


魚:気づかないなあ。増えてほしいじゃん。一緒減らないかき氷。


和:ロマンだ。ドラえもんでそういう話ありそう。

てか大木さんってドラえもん好きそう。猫やし。


魚:めちゃくちゃ言うじゃん(笑)ドラえもん好きだったらかわいすぎるな。次!

 

アイマスクして梟を思ひけり


これおもしろかったなあ。

思う句、蒼海8号寄稿の〈蛇の舌ふつと思へり雨の日は〉なんかは掲句より詩に寄ってるけど、主体が面白がってる感じがよんでてうれしかったな。


和:あ、おもろいなこれ。なんか『日常』でこういうコマありそう。


魚:でた!!!!!!!鴇田さんのときも日常の話したよ。


和:そうだったwww

評の特許とろうかな「これ、『日常』の一コマっぽいですよね」。


魚:wwwwwwwww

日常より雨宮さんシリーズとかの方がありそう。


和:「眠れない雨宮さん」って話あったら確実に作中でこの句の行為やってるな。


魚: 確実にやってるなwwww


和:アイマスクのくらやみのなかにスゥー……って浮かんでくる梟がシュールというか、じわじわおもしろいタイプの句だなー。


魚:見た目もちょと梟ぽいしね。


和:梟って森の守護者とか賢者って言うし、寝るときに思うと落ち着くんすかねー。


魚:森林浴的なね。アイマスクって森林の香りのやつあるよね。蒸気でホットになるやつ。

 

長き葉に蝶たれ下がる泉かな


和:ピントで遊ぶ句よね。

蝶のドアップからの、背景の泉に徐々に合う感じ。


魚:こういう丁寧なつくりは勉強になるよね。視点を動かさずに景色をまっすぐ捉えていく、言葉としては手前から順番通りに書いてるだけなんだけど。奥行きがあるといっきに俳句らしくなるというか。


和:空間性高めやね。なんとなく描写から、凪のような精神世界も伺える感じ。視線の誘導もうまい。上から下へなめらかに。いつ蝶が飛び立つかもわからない緊張感も同時にある。


魚:せやね。字面も涼しい句だな。

 

躓くや涼しき尾つぽなきゆゑに


魚:躓くや の切れもおもしろいし。尾っぽがないから転んだっていう言い訳も面白いし。尾っぽに涼しさをみているのもおもしろい。全部おもしろい。そしてこの脱力してる感じ、勝てないね。


和:そもそも尻尾がある四足歩行動物だったら躓くことなんかないってところから発想してるのかな。前向きにも後ろ向きにも解釈できるところが良い。


魚:そうじゃないかな、前向き?後ろ向き?進行方向のはなし?


和:ポジティブ、ネガティブ。


魚:ネガティブに読むとそれもいいね。


和:

ポジ

進化の先に尻尾をなくして躓いているけれど、こうして言葉を手に入れて俳句書いたりしているわけで、進歩史観寄りな認識を肯定している。

ネガ

めっちゃ人類進歩したけど、それゆえに業が深い‥…。

 

みたいな解釈。


魚:ぐんじくん結構深く読んだね。尻尾ほしかったなみたいな、子供っぽさというかそう言う感じで読んだからネガの寂しさそうな感じもよいね。


和:その感じはとてもわかる。


魚:涼しき尾っぽの季語の置き方はちょっと意外な感じしたな。


和:涼しき、ではない攻め方を想定していたってこと?


魚:そうだね、遊星の季語の置き方はもっと見える季語の印象だったんだよね。〈涼しき尾っぽ〉を季語ととるか無理やり無季と読むかの話はおいといてね。形容して季語化するみたいなアプローチがめずらしいかんじした。


和:みえるってのは視覚的ってことね。たしかに尻尾ないしなここには。


魚:だからもしかしたらトカゲをみて、自分が躓いて出来上がった句なのかもしれないなとおもったな。


和:憶測だけどたしかにそういう体験が作句のもとになっていそうな感はある。個人的には、尻尾がある世界線を「仮想」する考え方そのものが持つ残像性?空洞性?が「涼しい」なあ〜とも思えるので、意外と直接表れている説もある。


魚:なるほどなあ、それもあるっすねえ、いやおもしろいなあ。


和:酒飲んでるの?w


魚:そりゃあ飲んでますよ! 今日大晦日だからね!


和:そりゃそうかw


魚:もう昼間からずっと飲んでるからね。いいね大晦日はね、ずっとのんでても怒られないからね。とにかく遊星良かったですね。


和:櫻𩵋くんのあまり愛をわけてもらいました。ほろじわっとした句集でした。

 

魚:ほろじわっとね。ほんとに年末にしみじみよかったね。また来年も楽しくよんでいけたらなとおもいます!


和:よろしくさー。それではみなさんよいお年を。記事の公開は年明けてからだけども。

 

【おまけ】映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』

映画『サイダーように言葉が湧き上がる』

 

和:こんにちは郡司和斗です。芭蕉さん、 今日はよろしくお願いします。

 

芭蕉松尾芭蕉です。映画はあんまり観ないんだけど、 これはそこそこおもしろかったね。今日はよろしくお願いします。

 

和:はい、それでは、今回は映画『 サイダーのように言葉が湧き上がる』 の感想戦をやっていきたいと思います。 映画のあらすじと公式が公開している冒頭20分の映像は以下の通 りです。

 

https://youtu.be/KKoyD1Sp0-E

 

あらすじ

17回目の夏、地方都市⸺。
コミュニケーションが苦手で、 人から話しかけられないよう、
いつもヘッドホンを 着用している少年・チェリー。
彼は口に出せない気持ちを 趣味の俳句に乗せていた。
矯正中の 大きな前歯を隠すため、
いつもマスクをしている 少女・スマイル。
人気動画主の彼女は、 “カワイイ”を見つけては 動画を配信していた。

俳句以外では思ったことを なかなか口に出せない チェリーと、
見た目のコンプレックスを どうしても 克服できない スマイルが、
ショッピングモールで出会い、 やがてSNSを通じて 少しずつ言葉を交わしていく。

ある日ふたりは、
バイト先で出会った 老人・フジヤマが 失くしてしまった
想い出のレコードを 探しまわる理由にふれる。
ふたりはそれを 自分たちで見つけようと決意。
フジヤマの願いを叶えるため 一緒にレコードを探すうちに、
チェリーとスマイルの距離は 急速に縮まっていく。

だが、ある出来事をきっかけに、 ふたりの想いはすれ違って⸺。

物語のクライマックス、
チェリーのまっすぐで 爆発的なメッセージは 心の奥深くまで届き、
あざやかな閃光となって ひと夏の想い出に記憶される。

アニメ史に残る 最もエモーショナルなラストシーンに、
あなたの感情が湧き上がる!

 

 

和:というわけなんですけれども、 芭蕉さんはあんまり映画を観ないんですか。

 

芭蕉:そう。映画もアニメもあんまり観ないんだけど、 今回まあまあ良かったから、 次からは旅先でも良い作品があったら観ようと思う。

 

和:わざわざ旅先で観るんですね。それはそれでよかったです。 ではまず、全体的な感想から簡単にいきましょうか。

 

芭蕉:そうだね。これは皆感じることだと思うんだけど、 映像を一枚の絵で切り取ったときに印象的になるシーンが多くて、 すごくかっこよかった。 背景美術のビビットな色合いがとてもよくて、 田んぼの中のショッピングモールとかスマイルの家の内装とかグッ ときた。あと、 ちょくちょく画面に入ってくる落書きもそこまで目障りな感じもな く良いアクセントだと思ったね。ただ肝心の俳句がちょっとね…… 。いや、わかっているんだよ。 そもそも作品の拙さも含めてある程度狙った演出だと。 そのために現役高校生に俳句を作らせたんだろうしね(エンドクレ ジットで開成や横浜翠嵐の名前があった)。

 

和:あー、まあ確かにわかります。最後の告白のシーンとか、 ふつうに良いと思うんですが、 どうしてもあそこで反射的に笑ってしまうというか、 こっち側の問題で満足に受け取ることができなかったというのはあ ると思いますね。

 

芭蕉:そう、 まあそれがこっち側の問題なのか作品の強度の問題なのか今は判定 できないけれけど、どうしても気になった。

 

和:ありがとうございます。 僕の全体的な感想も似たような感じですね。 お話より絵の良さに惹かれました。あとはアイテムの配置。 ショッピングモールから地方都市の生活や土地性を考えるのはすこ し二番煎じ感がありますけど、まだまだ有効だと思いました。 主題歌もよかったです。 あの音楽の軽さが鑑賞後の印象をかなり支えていると感じました。 あと杉咲花の声が好き。

 

和:それではもう少し細かくみていきますか。

 

芭蕉:はいはい。

 

ショッピングモールの描写

 

和: 個人的に冒頭20分のショッピングモールの描写がおもしろかった です。 ドンと田んぼの中に大型ショッピングモールが建った景色は異様で 、でも地方出身者としてはとても馴染み深い。 僕の地元の水戸内原のイオンモール等も同じような景観です。 何もない宇宙空間にステーションが浮かんでいるように、 田んぼの中にイオンモールがある。 それがあるおかげで私たちは色々な恩恵を受けています。 基本的にモールの中だけで生活に必要なものがほぼ全て足りている 。この映画でも服屋や雑貨、食品売場以外のテナント(歯医者やカ ルチャースクール、デイサービス)が印象的に描写されています。 また、 配信者として若者代表の象徴のように描かれるスマイルやその姉妹 の遊びがモールの中だけで完結しているように見えるのも特徴的だ と思いました。ショッピングモールは郊外や地方の画一化、 商店街の荒廃を発端とした地域コミュニティの弱体化を促進してい るとしてネガティブに捉えられる対象によくなりますが、 この映画では逆に、 認知症の老人も日本語ネイティブではない少年もオタク気質の青年 も内気な男子高校生もコンプレックスを持った人気配信者も包み込 む空間として、ポジティブにショッピングモールを描いています。 その点『ショッピングモールから考える』(東浩紀 大山顕)の影響をもろ感じます、 というかイシグロキョウヘイ佐藤大はふつうにこれを読んだらし いので、まあ納得です。

 

芭蕉:なるほどね、 ワシは地方がうんぬんとかショッピングモールがうんぬんはよくわ からんけど、 田んぼの中にアレが建っていることの不思議なおもしろさはわかる な。冒頭でいうと、スケートボードを乗り回すシーンはよかった。 俳句の落書きやスケートボードのカメラアングル、 無理やりなアクションは観ているだけで気持ちよかったな。

 

和:わかります。 モールの中をスケートボードで疾走するのを現実で撮るのは難しい し、あのコンテの切り方だとなおさら。 人物がぐにゅんぐにゅん動くのも、 客観的な視点でありながら主観的な描写が強調可能なアニメの良さ が出ていたと思います。

 

芭蕉:モールの中を吟行するところはどう思った?

 

和:『俳句さく咲く』 というテレビ番組でやってそうだなと思ってウケました。

 

芭蕉:確かにやってそうだ。

 

和: でも収録でも何でもないのに短冊に俳句を書いてその場で読み上げ させるのはちょっと異様だろ笑、と思いました。

 

芭蕉:まあドラマの都合上ね。

 

レコードとコンプレックス

 

和;中盤はどうでしたか。

 

芭蕉:レコード探しで二人がデートしてるところは、こういう「 間合い」が一番楽しいんだよな……とか思った。

 

和: ツイッターライブ配信のフォローいいねで一喜一憂したりとかク エスト的な事情につけて連絡取り合ったりとかふつうに自分のこと かと思って泣いちゃいました。

 

芭蕉:今の人はそうなのね。あと、 スマイルにレコード割らせる役をさせるのはさすがにかわいそうな 気が。

 

和: あのシーンは他にいくらでも自然に劇を進める展開あっただろと思 いましたけど、 一回スマイルと主人公の間に溝を作りたくてああなったんでしょう ね。その後の展開は一瞬で察しました笑。

 

芭蕉: まあそんなひねくれた脚本ではないだろうとポスター観た段階で思 う。 作中のアイテムとしてレコードを選んだこと自体は対比が明確でわ かりやすかったね。

 

和:そうですね。レコードと俳句が古い物、 ツイッターライブ配信が新しい物として結構意識的に画面に映さ れていました。

 

芭蕉: でもその構造を表現することにそこまで新規性はないように感じた けどね。

 

和:辛辣だ。

 

芭蕉: コンプレックスに対する描き方もシンプルといえばシンプル。

郡司:それは思いますね。 コミュニケーションが上手くできないとか、 出っ歯が気になるのをその人の個性として他者が認める、 もしくはその人自身が自分の性質を受け入れるというのは、「 アイデンティティ」とか「自己受容」とか「リフレーミング」 の基礎的な理論として当たり前っちゃ当たり前の結論ですよね。

 

芭蕉:でもまあやっぱり、 王道で前向きな感じがこの作品の好感度を上げているのかなと捉え られるよね。

 

和:だから嫌いってパターンもありますけどね。

 

最後の夏祭りのシーン

 

和: 短詩を書いている人がこの映画をおもしろいと思えるかどうかは、 究極的に言えば最後の告白シーンにノれるかノれないかにかかって いると思います。 俳句で青少年の心の叫びをすることにアレルギー反応が出る人は、 そこまででどれだけ映画を楽しんでいたとしても「おわり」 な気がします。

 

芭蕉:うーん……そうなんだよねえ……。

 

和: 幸い僕はああいうむずがゆくなる痛い展開は好物なのでにやけなが ら観ていました。

 

芭蕉:まあワシも距離感がありすぎて冷静に観られた。

 

和:たぶん、 どっぷり俳句や俳句界隈にコミットしている人ほどあのシーンが来 たときに「ああ、 そういう風に俳句という形式を物語のために使うのね」 とイシグロキョウヘイに冷めた目を向ける気がする。

 

芭蕉: 短詩をやっている人には最後のシーンちょっと受けが悪いかもしれ ないけどうちらはもっと客の射程を広く考えているんで、 みたいなのが少し透けるのも冷める原因なのかな。

 

和:そこまで明言していいのかは微妙なところだけど、 言わんとすることはわかります。

 

芭蕉:とか言って観る前から告白で終わる気は薄々していたし、 伝えるなら俳句でやるだろうなとは予想していたから、 そこまで悪い意味の衝撃は少なかった。

 

和:まあ、主人公の設定(口下手で俳句が好き)を見た時に、あ、 そういうことか……って思いますね。

 

芭蕉:そうそう、察する。 ある程度察してから観たのでワシはそこそこ満足。

 

和:よかったです。EDのテーマソングはどうでしたか。

 

芭蕉:これがねー、めっちゃ好き。Never young beachのファンになった。映画の最後が最後なだけに、 軽い感じの主題歌がいいバランスを取っていたと思う。 これのおかげで色々と救われた。「 サイダーのように言葉が湧き上がる」 って句としてみるとゆるゆるだけど、 歌詞としてはその薄さがメロディを伝える上で良く働いていると感 じたね。

 

和:あーありますよね。 アニソンとか特に歌詞に意味がなければないほど音楽そのものを楽 しめる。僕も主題歌とても好きで、 知らないバンドだったので今後も追っかけようと思います。

 

和:今日はありがとうございました。 この辺で終わりにしたいと思います。

 

芭蕉:こちらこそありがとう。 また何かおもしろいものがあったら誘ってください。 新しい物に疎いので、助かるよ。

 

和:はい、またお誘いしますね。それではお疲れ様でしたー。

 

芭蕉:お疲れー。
 

【第四回】平岡直子歌集『みじかい髪も長い髪も炎』

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 

郡司和斗 十首選
できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから
下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら
そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって
いつか死ね いつかほんとに死ぬことのあいだにひしめく襞をひろげて
絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある
セーターはきみにふくらまされながらきみより早く老いてゆくのだ
星座を結ぶ線みたいだよ 弟の名前を呼んで白髪を抜けり
喪服を脱いだ夜ははだかでねむりたいあるいはそれが夢の痣でも
飛車と飛車だけで戦いたいきみと風に吹かれるみじかい滑走路
ねえ夜中のガードレールとトラックのように揺れよういちどだけ明るく

 

本野櫻𩵋選 十首選
わたしたち浮浪者だっけ、歯にメモを書いてつぶれたペン先だっけ
きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと
完璧な猫に会うのが怖いのも牛乳を買いに行けば治るよ
地下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら
なにもないように見えてもドアノブを意識しながらゆくべきだろう
裸木よまひるの川面をあたためるひかりが大きな舌にみえない
できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから
ベビー服のうえを模様が通りすぎ赤ちゃんはみな電球のよう
歯みがきのときだけ感じる指揮台があるじゃない、ほら、わたしたちには
似ていない悲しい人体模型から小さなタンバリンを抜きとる


和:今回は平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』を読んでいきたいと思います。

 

𩵋:はじまったな〜〜〜〜〜〜!!!!!

 

和:いつも通り全体的な感想から入っていきますね。まずそもそも、全体像を語りにくい歌集だと思いました。確かに歌集全体を貫くテーマというかテンションはうっすらと感じとれますが、カチッとはまる語彙が見つからないです。気が狂いかけているこの語り手の言葉をなんとか捕まえようとしては掴みそこねる。かと思ったら突然振り返えられたりもする。その繰り返しで気がついたら通読していました。表紙はかわいい感じだけど、内容はスリリングです。脳みそ直接握られているような読後感。とてもおもしろかったです。桜魚さんはどうでしょう。

 

𩵋:そうですね、自分も概ねそんな感じだったかな...。自分としては特に前半は目を引く歌が多かったんですが、50頁あたりから傾向が変わってきて、というのは露骨な艶やかさが少し感じられて目が滑ってしまった印象でした。後半は郡司くんが言うように脳味噌を掴まれている感覚、ありましたね。意図的に読ませようとしないというか、思ってもいないような言葉が次に来るってのが多かった印象。だから自分が引いた歌は少しわかりやすいものに偏ってしまったかなとも思ってます。

 

和:傾向が変わるのはわかる。というか新人賞とった作品の可読性? 飲み込みやすさ? がやたら高くてそこで一回バグるんですよね。

あ、艶やかさのところだけもうちょっと詳しく聞いてもいい?

 

𩵋:そうね、中盤に差し掛かったあたりで一気に「あなた」の存在が見え出したというか、急に退廃的な恋愛とかに扱われやすい煙草とかのモチーフとの取り合わせが増えたっていうか。

 

和:なるほど、モチーフレベルで、ってことか。

 

𩵋:そうそう、なんか突拍子もない取り合わせは多いから逆にそういうのがわざとらしく見えちゃったのかな。

 

和:にゃるほどね文体の話かと勘違いしてたから聞けてよかった。じゃあ1首1首みていきますか。

 

𩵋:いこう!!

 

きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと

 

まあわかるなというか、別に恋愛じゃなくてもいいよね、親子でも。愛と時間みたいなところを感じたかな。結構繋げて読んだんだけど、時間は常に存在して僕たちは当たり前のように追われていて、特に愛があるところにはより時間を感じると思うんです、なんかアインシュタイン相対性理論を子供に説明する時に、「好きな人と一緒にいる時間は短く感じるよね」って話ししたみたいな。内容的にはそんなところでとりました。

 

和:全体的な解釈は桜魚さんと近いですね。上の句の言い回しが不気味でおもしろいです。からだ=お墓みたいな把握の仕方。〈頭上に秒針のおと〉は神経の研ぎ澄まされた感覚を表しているのかなと思いました。そういえばアインシュタインの舌の歌もありましたね。ねじこむやつ。

 

𩵋:あああ、あったね、ねじこむやつ

 

ちゃんとわたしの顔を見ながらねじこんでアインシュタインの舌の複製

 

𩵋:なんか当たり前のように見ている写真をより深くいじられるっていうかそこを見つけてくるのおもろいなって感じするね、読者というより作り手として面白いなって感じ。

 

和:ねじこんで、は願望……?だとしたらはじめてみるタイプの欲求。

 

𩵋:ねじこんでが欲求というより私の顔を見てキスしてという欲求かと思った。

 

和:いやまあキス的な行為をする歌ではあるんだけども、アインシュタインの舌の複製をねじこんでほしいみたいな歌なのかと。それかキスするときに不意にアインシュタインの舌の複製が脳裏を過ったみたいな。あんまり筋を追わずに記号的に言葉を受け取って評すればいいと思うんだけどね。

 

𩵋:これだとしたら後者で読んだなあ。舌は舌でもアインシュタインの舌とキスって結構遠いからそれがおもろいよね。

 

和:そのほうがエロキモワンダーでおもろい気がする。

 

絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある

 

𩵋:これ取るか迷ったな。

 

和:〈一月の川一月の谷の中〉じゃないけど、手元の絵葉書から広がっていく空間が良い。言い回し的に、絵葉書の菖蒲園は昼間で、一月ではないんだろう。ゲシュタルト心理学の図みたいな歌だね。菖蒲なのも良いと思う。なんかへんに詩的すぎなくて。

 

𩵋:もう完全に一月句と同じ面白がり方って感じするね。菖蒲なのは絶妙だよね、個人的に菖蒲と夜は近く見えたけどこれは俳句的な近さかもだからあれかなそこまで気にすることもないかな。

 

和:確かに夜と菖蒲はちょっと近い感じはある。

 

𩵋:それでとらなかったかな。

 

和:でも短歌だとこの程度の近さは傷というよりまだ演出の範囲内って感じだな。あと歌われているのは実際の一月の夜の菖蒲園ではなくてそれを思う主体の認識とか思念みたいなところにあるから、それが「近い」とかあんまり俺が考えない理由。

 

𩵋:そうねそうね。

 

和:意味的にも方法論てきにも「スライド」に主眼があるからそっちを意識して読む?的なね。次いこ。

 

わたしたち浮浪者だっけ、歯にメモを書いてつぶれたペン先だっけ

 

𩵋:あたいってば『おやすみプンプン』とか『悪人』とか『ゴールデンスランバー』とか『祈りの幕が下りる時』とか逃亡シーンのある作品が大好きじゃん? 浮浪者って別に逃亡者ではないんだけどさ、浮浪者と潰れたペン先ってすごくグッとくる合わせ方で、しかも歯にメモをっていう、意味は無いんだけど、そうそうわかるわかる逃亡中ってそういう気持ち悪さがあるよねって感じに妙に納得できちゃうのよね。使い終わった箸を何本もずっと取っておくとかね、公園のトイレで髪洗うとかね歯にメモを書くってことも絶妙にそういう気持ち悪さがあるんだわ。

 

和:公園で髪洗うは草。

 

𩵋:って感じだった。

 

和:取り合わせの歌よね。あとは〈だっけ〉って書いてるから自己認識の不安定な感じする。気づいたら「それ」になっていた、みたいな感覚なんだろうか。

 

𩵋:いやそう、言うの忘れてたけどそれもあるんよ。いつのまにかそうなっていくみたいなね、というか僕はこの歌の主体がかなり浮浪者目線だと思ってるから、常人が<だっけ>って言うことと実際もう浮浪者になった浮浪者がこう言うことにはまた違ったものがあると思ってて、常人→「浮浪者」or「ペン先」、浮浪者→「確認」or「ペン先」みたいな(は?)。

 

和:短歌って浮浪者とかつぶれたペン先(社会的に排除されがちなもの)をなんとなく良さげなものに描きがちだけど、この歌はそれをふつうに怖がっている感じがして、良いところだと思う。

 

𩵋:うおおおおおおお!!それすげえいいなああ!!いま焚火の良さ実感した。

 

和:これが座の文芸か……。

 

𩵋:座の文芸...ってコト⁈

 

和:ちいかわ語録は沼なんよ。

 

地下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら

 

𩵋:わいもとったやつや!ガハハ!

 

和:あ、そうだったね。なんか不思議な歌で、誰かに地下室が家にあると伝えられているんだけど、それが嘘だとわたしは既に見抜いているんだよね。その上であるふりされている理由が声の重さに変換されている。事象が特殊であれば理由も特殊というトリビアルな内容なんだけども、妙な納得感がある。〈重さ〉が良い言葉選びなんだろうか。

 

𩵋: まず僕も勝手に喋るけど、挙げるとキリないくらいあるんだけどさ〈ぱち、ぱちと爪が切られていく音だけで動物園がひとつ燃えたね〉とかね、このシームレス感は本当に気持ちよくて、伝わるかわからないけど初めて『ゼノブレイド』のシームレスバトルシステムをプレイした時と感覚的に似てる。ドラクエって敵オブジェクトと衝突するとデレレレレレってなって戦闘モードに変わるのよ、それが「切れ」ね。でもゼノブレイドはフィールドを歩いてるその敵とそのまま戦闘になるのよ。「敵オブジェクト」と「敵」には明確な差があって、この絶妙に切れない、世界、時間が一直線で継続する感じ。これが平岡さんの歌は本当に面白い。だから言葉選びもあると思うんだけど僕はこの段差がない感じがすごく気に入ってる。

 

𩵋:うどんの話しよう。

 

できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから

 

𩵋:もうこれは完全に郡司くんなのよ〈直鍋で麺食ふをとこ初つばめ〉っていう知る人ぞ知る「夜な夜な」っていうグループで生まれた伝説の句があってね。もうそれしか頭になかったね。

 

和:名歌すぎて引くか迷ったんだけど、持ってきちゃったね、二人して。

 

𩵋:夜だらだら作業通話してるときに直鍋で郡司くんが麺を食い出すとめちゃくちゃ腹減るのよね。

 

和:一人暮らしはああなるのよ。

 

𩵋:最近やってないけどあれやってた頃睡眠時間もろくに取らずに深夜にバカ食いしてたせいでめちゃくちゃ太ったよ(笑)。

 

和:キャンプのときも太った話してなかったっけ(笑)。

 

𩵋:この歌は思い出とのマッチングが強すぎて取らざるを得ないってかんじだったな。

 

和:そういう出会い方も「あり」だよね。歌会とか句会だと否定されがちだけど、そういう受容そこ大切だったりする。

 

𩵋:結局そういう方が残るよね、体感的に。

 

和:自分史の中で残ってる作品はまさにそういう出会い方をしたものばかりだね。

 

𩵋:ということはやっぱ直鍋はかっこいいってコトだな。

 

和:たまに突き抜けてくるやばいやつはあるけど。

 

𩵋:それもあっていい!ネクスト!

 

そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって

 

和:非常に評の言葉選びが難しいんだけども、いろんな不条理を無化していく歌だと思った。

 

𩵋:いやこれほんとに意味がわからんかったのよ。難しい言葉選びのなかでいいからちょっと噛み砕いてほしい。

 

和:まず構文として「そりゃ○○はえらいよ、でも○○だってがんばってるんだよ」みたいなのがあって、〈そりゃ男はえらいよ〉って来たらなんとなく主体は女なのかなと思う。で、大概この構文のやりとりって進展がない。飲み会の愚痴みたいな次元。それを逆手に取って、茶化したことを言っている。日本はやっぱ男ってだけで下駄をはく/はかされることが多いけど(この言い方もあんまり好きじゃない)、それは女が権利やそこまではいかない些細なことでも割を食っているから。そこでさっきの構文に、東京タワーのことなんだろうけど〈三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって〉という〈えらいよ〉に対応するには意味不明なことを言うことで、「男のえらさ」を問かけなおしているように読める。東京タワーが出てくるのが象徴的で、こういう読みを可能にしているんだと思う。そういう意味で、不条理を無化する歌だと思った!単純にウルトラマンに変身する歌として取ってもいいと思います!

 

𩵋:すごい理解した。シンウルトラマン楽しみだね〜あれ予告みたけど庵野えらいな〜ってかんじだった。

 

和:カラータイマーとっちゃったからな。ぬるっとしたでこわい。


𩵋:〈高さがある〉の無機物への眼差し感やばいな。

 

和:公開が楽しみですね。てか庵野って石川啄木レベルで後世に残る作家だとずっと思ってたんだけど、シンエヴァ終わってからマジででかい仕事しまくりで本当にそうなるんだろうなと確信した。

 

𩵋:ほんまにな。

 

ベビー服のうえを模様が通りすぎ赤ちゃんはみな電球のよう

 

𩵋:通り過ぎている模様はベッドメリーのことでいいかなと思うんだけど。……そういえば最近亡くなったクリスチャン・ボルタンスキーのモニュメントシリーズを思い出しますねって感じだった。(みんなも検索してみよう!)これね

和:ふむ、たしかに電球だ。

 

𩵋:ボルタンスキーはアイデンティティに生と死を強く持っていて、ていうのは両親がホロコースト世代のユダヤ人なんだよね。

 

和:なるほど、ジェノサイドが背景にあるわけか。てかボルダンスキーの顔日本人っぽいな。

 

𩵋:電球や古着、遺品の入っていそうな缶箱とかをつかって死をいっぱいつくってきた作家なのよね。これ何年か前のボルタンスキー展の写真だけど、この山全部古着なのよ。

 

和:(展示の写真を見て)激良いな。

 

𩵋:歌に戻るけど、赤ちゃんとか命が光=電球って素直にわかりやすくて、でもここでもう一歩、「電球」とされると妙に納得させられてしまって、電源のコードだったりガラスの球体だったりなんとなく人体ぽいのかもしれない。赤ちゃんという未来への希望的な意味で電球ってこともあるだろうけど、妙に人体や生命として電球がしっくりきた。ちょっとダークファンタジーとかサイバーパンクみも感じつつね。

 

和:まあつやつやしてるしまるいし電球っぽい。

 

𩵋:ウンウン。

 

和:なんとなく大量生産されるものに人間が喩えられるとディストピアっぽくなるというか、ナチスとかソ連的なイメージが脳裏を過るから、ボルタンスキーを連想するのはけっこういい線行ってるかもね。

 

ねえ夜中のガードレールとトラックのように揺れよういちどだけ明るく

 

和:発話調なので誰かが誰かに向かってこう言ったってことなんだけど、数ある刹那的な欲望のなかからこのチョイスはエグいなと。比喩そのものの質感はドライなんだけど、〈揺れよういちどだけ明るく〉が既存の短歌的な可愛さを少し背負ってくれているおかげであんまり読者を置いてけぼりにしない構造になってる。

 

𩵋:なるほどね、自分は読みきれない感じがあったんだけどバランスを見ると確かに絶妙だ。ガードレールとトラックて揺れてるか揺れてないかの微かな動きだと思うから。

 

和:トラックと夜の道ですれ違うと、めっちゃ照らされながらぐわんと揺れるじゃない? 感覚としてはそれよね。この歌のいいところは内容は共感ベースではないのにこの歌の中の事象を体験できてしまうことにあると思う。未知7:既知3くらいの割合の出来事として。〈ねえ〉っていうやわらかな入り方もよくて、この歌集の中で突然くるとけっこう驚く。逆にひりひりした言葉に感じる。

 

𩵋:ああ、そう考えると結構揺れてるか。僕は車運転しててすれ違うイメージが強すぎたからそこまで地響きを読めなかったな、でも確かにこの句は歩いてすれ違うトラックとそれから身を守るにはあまりに薄いガードレールの揺れだわ。読めないと思ったのは、「いちどだけ明るく」が若干甘くみえたんだよな。でも可愛さを背負ってるっていう郡司くんの評でだいぶ手に掴んできた感じがするよ。

 

和:いちどだけ明るく」が甘くみえたのはある意味良い判断(?)だと思う。隙をつくってくれているわけよね。

 

なにもないように見えてもドアノブを意識しながらゆくべきだろう

 

𩵋:これなんかラヴクラフト味があるね

和:たしかに幻想怪奇の雰囲気が漂うな。

 

𩵋:これはもう単純に、わざわざ言うところがおもしろポイントで、やっすいホラゲやっててベニヤ板みたいなドアを開けるような感覚に近い。でもわざわざドアノブを意識してゆくべきなんだよね。意識しようじゃないところもなんかいい。

 

和:ドアノブっていわれたら自動的にドアのまぼろしもみえてくるのもいいな。……あ、ちょっと勘違いしてたかも。扉はあるのか。ドアノブがないような扉でもドアノブを意識しながらあける(ゆく)ってことか? あれ????

 

𩵋:え、あえ? なにもない→ドアもないorなにもない→ドアになにもついてないってことか。あ、なんかわかんなくなってきた。ラビリンス入りしそう。まじでラヴクラフトじゃん。

 

和:どっちだと思ってた?

 

𩵋:いやドアはあった。でも言われてみれば暗闇で手探りみたいな感覚もあるんだ...さっきと言ってることがあべこべだけど。もはやドアがあるのか何が見えていて見えていないのかそれすらもわからないけど何故かドアノブを意識しながらすすむべきって言われちゃってる。ちょっとずるいかもしれないけどなんかこういうないことをあるようにしてしまう動作って日常にあるなって感じはする。

 

和:たしかに生きていると、存在していなくても常に意識せざるをえないものがあるよな。つかなんか、ようはメメントモリのドアノブバージョンなのかなと思ったら急にウケてきた(笑)。

 

𩵋:それいいな、それいいそれいい(笑)え、ノーランのメメント

 

和:ふつうに「死を忘れることなかれ」のほう。ノーランのやつ観たいわあ。

 

𩵋:なんかノーランのメメントモリ読みでもかなりおもしろいかもこれ(笑)あの予定調和感というか数合わせ感というかなんというか(笑)。

 

和:メメント観るか……。ドアノブを忘れることなかれ。

 

𩵋:(笑)

 

いつか死ね いつかほんとに死ぬことのあいだにひしめく襞をひろげて

 

和:ツンデレっぽい歌なのかなあと。「生きててほしい」的なことを真顔で言う歌は山ほどあるけど、意外とこういうツンデレは見ない気がする。いつか死ねってことはそれまでは生きろってわけだよね。

 

𩵋:いつか「死ね」か。なるほどなあ。

 

和:そのうえで、いつかほんとに死ぬことを「襞」のイメージで捉えるあたりに生々しさがある。

 

𩵋:たしかに、襞って蛇腹になってる人生の年表を意味させつつ、人体の一部も想起させるね。

 

和:そうね、人生のメタファ~っぽい(けっこう分かりやすく)。その襞をひろげるってなんか人生をのっぺらと一望する感じがして、ちょっと残酷みがあるけど読んでて気持ちいいポイントよね。「死ね」って超絶シンプルに強い言葉だけど、「いつかほんとに死ぬことの」で少しやわらかくなるのも全体の印象を良くしてて、読者層のレンジをうまくひろげていると思う。

 

𩵋:たしかに、見落としてた歌だったんだけど、いつか「死ぬ」で誤読したんだよね(笑)

 

和:いつかは死ぬなそりゃ。

 

𩵋:そうそう、いつか「死ね」で読むとすごく面白いと思うから勿体無いことしたなあまあ気づけてよかった。

 

和:こういう気づきも二人で読み合わせる良さだね。

 

歯みがきのときだけ感じる指揮台があるじゃない、ほら、わたしたちには


突然URLを叫び出すヤバいやつ:https://youtu.be/75Ww4CcRyYI !!
RIPSLYMとくるりのユニットで『ラヴぃ』っていう曲があって、「一緒に歯磨こうよ」ってリリックがあるんだけど、ここがめちゃくちゃ気持ちよくて好きで、そして僕は彼女や友達と旅行したときに一緒に歯磨きをすることがやたら好きなんですが、もしかしたら特殊性癖かもしらん。

 

和:それはばちぼこわかる。

 

𩵋:歯磨きのリズムがあっていく感じが指揮台だって言ってくれてうれしいなって感じしたんだよね。

 

和:朝イチに鏡で自分をみるときって、不思議な高揚感があると思うんだけど、それを指揮台って言葉をよく見つけてきてはめたなーと。
わたしたち、なのもおもしろいな。指揮台に立つのってふつう一人だと思うから、二人以上だとそういう発想になかなかならなそう。

 

𩵋:あああ確かにな。

 

和:この歯磨きが朝なのか夜なのかでも雰囲気がちょっと変わっておもしろいな まあどっちかっていうより、円環って感じだけど。

 

𩵋:あ、それいい。朝だと清涼感があるぶん歯磨き粉感強いし指揮のスパイシーさも変わってきそうだから。

 

和:スパイシーってなかなか独特な評やな。

 

𩵋:最近開拓したのよ。みんなも真似して欲しい。ちょっとカッコイイとかクールよりちょっと弱いそういう方向性をスパイシーっていうの。

 

和:ちょっと次の句会歌会で使うわ。

 

𩵋:お、こいつなんかイイ評するなってなるよ。

 

和:この句、スパイシーだね。

 

𩵋:wwwww そう言うと途端にうざいな。

 

和:メンソール効いてるね。

 

𩵋:どんな句だよ。

 

セーターはきみにふくらまされながらきみより早く老いてゆくのだ

 

和:経年劣化の歌だけど、「のだ」が核だと思うんだよな。〈老いてゆく〉の擬人化はゆるくみえるっちゃみえるけど、なんか「のだ」が持つ「ちょっと小ボケつつも真面目な感じ」が詠嘆に近い読み味を出しているというか、文語じゃないと出すのが難しそうな余韻をやってるのがおもしろかった。

 

𩵋:おお、いいね

 

和:「のだ」って変だよな。

 

𩵋:今回ずっとよんでて思ったけど、そういうの多かった。

 

和:へけ

 

𩵋:モチーフや言い回しに面白みがあるというか、語感とか語尾の遊び、余白?余裕? そういう良さが目立ってた。その点この歌も「のだ」がいいよね、時代感だけそこはかとなくハルヒだね......。

 

和:「のだ」じゃなくて「んだ」って言うよな、自然にしてると。でも「んだ」だとなめらかすぎるというか、「のだ」の違和感、フックが「けり」的な印象に繋がっているんやろな。

 

𩵋:おおおおおお「けり」ね。「けり」かもしれない。

 

和:や、かな、けりでいったら、けり、やろなあ。

 

𩵋:〈老いてゆく〉ことを実際に経験した過去がありそれを誰かに解説してる口調ぽくて、ということは意味的にも「けり」ぽいやん、ウケるな。

和:発見しちゃったな。

 

𩵋:みつけてしまったのだ

 

和:みつけてしまったことだなあ……。ではこれでおしまいですかね。

 

𩵋:おーつかれい!毎回言ってるけど今回かなり自由に喋ってよかった!!

 

和:またこんど~!

【第三回】鴇田智哉句集『エレメンツ』

 

鴇田智哉『エレメンツ』


郡司和斗選十句
うららかに手の持主が来るといふ
一をかぞへる噴水の一時間
この秋のをはりの旗を配らるる
火が紙にくひ込んでゐる麦の秋
かなかなといふ菱形のつらなれり
うなづくと滝の向うの音がする
きのふをととひと次第に玉になる 
すぢかひのつめたさ空の組み上がる
t t t ふいにさざめく子らや秋
あきらかに私の位置に鹿が立つ

 

本野櫻𩵋選十句
澄みわたりけり三角にあらがふ子
とまる蛾にさかさまに来る人の貌
すぢかひのつめたさ空の組み上がる
かほの絵の服を着てからゆらゆらす
いうれいは給水塔をみて育つ
あした日に焼けた体がここにある
手の書きし言葉に封をする手かな
蜥蜴ゆく速さに喉をとほる水
海鼠ころがり遠メガホンの何か言ふ
なかにゐる水母のなかのずれてくる

 

 

𩵋:第三回はじまったな!(バカ声量)
今回は鴇田智哉さんの第二句集『エレメンツ』をよんでくよ!
まず全体の感想から......前作の『凧と円柱』にも感じられたことだけど、やはり鴇田先生の独特の「斜め」感がすごく気持ちよくあって、今回は加えて懐かしさや寂寞も感じられたな。それを話すのが楽しみ!
鴇田さんは、根を張っている句といえばいいのかそんなところを大切にしているみたいで、やっぱりそれも感じた。
前々回の「夜の水平線」はずっと真正面からぶった斬ってるイメージだったけどその違いもまた面白かった!

 

郡司:よろしくっすー。
個人的に鴇田さんの俳句は写実的な文体なんだけど内容は風邪の日にみる夢っぽいなーと思っています。特にこれまでの作品とか読んできていないのでエレメンツだけの感想しか言えないけどがんばります。

 

𩵋:じゃあさっそく!

 

澄みわたりけり三角にあらがふ子

 

𩵋:季語がいいよね。まず頭でドカンと状況をおかれて、そこにあらがふ子が出てくる。しかも三角に。単純に駄々をこねている子を思ったけど、それが三角の暴れようであると、でも暴れたら手足二本ずつが頂点にあってばたばたすると思うから四角になると思うんだよ、でもやっぱり三角なんだよね。これはちょっと相原かろさんの《電車にて知らない子どもがこねている駄々がいよいよ人語を越える》を思い出した。なんか超えた感。

 

郡司:三角っておもちゃのことかなーと思ったけど、形而上の問題にこどもが取り組んでいるようにも思えておもしろいね。あと澄みわたりけりって頭に書かれるとほんとにスカッとする。そのスカッと感と〈あらがう〉の重い感じがちょっと対比っぽくなっていて読んでてバランスいいなと思った。
これふつうに屋外のイメージで読んだ?

 

𩵋:そうだね。なんかお母さんに腕引っ張られてる子供のイメージ。

 

郡司:あ、てかそっちは三角を副詞的に受け取ったのか。

 

𩵋:え、そうそう。

 

郡司:俺は完全に三角っていうオブジェクトで読んでたわ。それに謎にあらがうみたいな……

 

𩵋:三角にってそういうことか三角の遊具にあらがうってことか。

 

郡司:桜魚くんの言うように動詞に三角が修飾するかたちで読めるってのはなんとなくわかる(文法的にというより鴇田さんの俳句を読んでいるとそういう読みも可能だろうなと思えてくる)。

 

𩵋:そうね、読みの違いおもしろかったね。

 

郡司:いうて俺の三角を遊具とかおもちゃとして読むってのもこじつけみは強いんよな。

 

𩵋:形を具体的に言われすぎてかえって抽象的なんだよね。

 

郡司:そう、あくまで三角なので、抽象的な世界を体験するしかない。

 

𩵋:それは〈あらがふ〉の動詞選択にも一因がある。

 

郡司:そうか、〈あらがふ〉って割と具体性を抜いて受け取れる動詞か。一句でずっとやりとりできるな……。

 

𩵋:できちゃうね!引いてよかった!

 

うららかに手の持主が来るといふ

 

郡司:修辞でじゃれているだけといえばそうなんだけど、なんだろうね、これも〈うららか〉がよかったというか、ぽかぽかした光の中から手と手の持主がぬるっと出てくるところに妙な滑稽さと絵作りそのものの美しさがあると感じたね。あとはそうねー、当たり前だけど手がない人も世の中にはいるわけで、その前提を含んでいる姿勢の作り方がうまいなーと。姿勢ってのは作句の姿勢。

 

𩵋:手は手の足は足の持ち主がいて、当たり前のように使役していてっていうことを感じるのはやはり〈うららか〉の精度だよね。もちろんこの読みをしなくてもいいんだけど、根底の温かさは共通するよね。

 

手の書きし言葉に封をする手かな

 

𩵋:これを引いたけどちょっと通じるものがあるね

 

郡司:〈来るといふ〉というぼかした落とし方も、〈うららか〉な雰囲気と合ってる感じする。あと、確かにその句とも近いね。自己の身体に対するまなざしが。

 

𩵋:無季語なんだけど丁寧に言葉を重ねているからすんだ空気感があって、描かれてはいないさまざまな季語が見えてくる感じがするよね。
身体の一部を手放したり、感覚として所持したり、鴇田さんの句はそういう部分がより丁寧でスキなんだな〜。(詳しくは第一回詩歌の焚火の最後の方でも話してるよ。)

 

t t t ふいにさざめく子らや秋

 

郡司:完全にTT兄弟の真似を子供がしている姿だと思った

https://youtu.be/yir2I0X6siA

 

𩵋:これね、もうその読みしかできなくなっちゃったよね。神保町の東京堂書店で句集見ながら話したの懐かしいな。

 

郡司:なつかしいなww。 まあTT兄弟が元ネタでも元ネタじゃなくてもどっちでもいいんだけど、急に脈絡のないことを言う瞬間ってあるよなとなんか膝を打つ句だった。さざめく、とかもいいよね、大袈裟で。

 

𩵋:〈子らや秋〉の落とし方もいいよな〜。上の句に意味が無いからより決まる。

 

郡司:前半の無意味さを無意味なままにしておくために〈秋〉ってデカく言うあたりもよい。あとやっぱり音読してたのしいのが好きな理由の大部分やな。

 

𩵋:韻文らしさだね。次行きます!

 

すぢかひのつめたさ空の組み上がる

 

𩵋:〈つめたさ〉が季語かな、と思うのだけど、無季として納得できる気もする。中上健次の小説は熊野の貧困階級の路地が舞台になってることが度々あるんだけど、筋交の冷たさとはそういう寂寞を表しているとも思う。〈空の組み上がる〉に収束する切なさというか、〈空の組み上がる〉を具体的に読むことは僕の力及ばずだけど空気だけでも十分に“理解る”句だった。

 

郡司:古文的な文脈でとるなら斜めに向き合うという状態そのものを概念的につめたいって言ってることになるのかね。でも〈空の組み上がる〉ってイメージから考えるにたぶん〈すぢかひ〉は建築技法のほうだろうな。作られる途中の、あの柱だけの家の原型と空の奥行きがドッキングしている感じがおもしろいと思った。

 

𩵋:お、それいいね! 建築物として読んでもおもしろいな〜!

 

郡司:意味よりイメージのよさで取れるんよ。

 

火が紙にくひ込んでゐる麦の秋

 

郡司:ふつうに端正な写生。キャンプとかで物を燃やすときを思い出したわ。マジでこの通りって感じ……。あと、実家の周りでこういう状況のジジイとかたくさんおるわ、田んぼの横で火をつけてるジジイ。

 

𩵋:わかる、これも言い回しがいいよね。キャンプしたくなるな〜。最近全然焚火できてない。

 

郡司:まじで夏にキャンプしよう。それはそれとして、〈麦の秋〉って季語の、黄金色の背景がひろがる感じとかも、上五中七がシャープな描写なだけに、緩急がついてより広大に感じる。

 

かほの絵の服を着てからゆらゆらす

 

𩵋:花圃の絵の服を着たらゆらゆらしちゃうな〜というだけでとりました。これはシンプル好き句だったな。やっぱり技巧(といっても嫌なものではなく)の句が並んでいる中にこういう豊かな句があると気持ちがいい。緩急もこの句集の魅力のひとつだからね。

 

郡司:顔の絵かと思ってた笑。

 

𩵋:いやその可能性もある(真剣な眼差し)。

 

郡司:まあ季語ほかにないし桜魚の読み筋が基本だと思う。厳密には絵だから季語じゃないけど。この句は脱力系というかなんというか、かわいいよね。〈着てから〉のロジックも花圃に対する主体の思い入れみたいなものが垣間見れてよかったです。

 

𩵋:そうね、花圃っていうのがいいよね。たとえば海月だったらちょっとここまでいいかわからない。

 

郡司:海月の柄シャツとか着てるやつがいたらちょっと狙ってんなーって思うかもね。

 

𩵋:わぁる。

 

郡司:話もどるけど、もし顔の柄のシャツだったらと考えるとすげえ痛いイキリオタクが浮かんできてつらくなった。

 

𩵋:うわやめてうっわそうやって

 

郡司:www

 

𩵋:僕の記憶のどこかのページからガタッて音したわ。

 

郡司:桜魚氏は経験者でござるか?

 

𩵋:アイマスの映画、我那覇響ちゃんのシャツで行ったわ。

 

郡司:輝きの向こう側に行ってるね……。

 

𩵋:うまいこといわんでええねん。

 

郡司:でもそういうの一回やらないとすっきりしないよね。俺もコミケにチェックシャツをインして(ステレオタイプ的オタクの格好)いったことあるわ。ズボンにインしてね。

 

𩵋:それは“本物(ガチ)“じゃん

 

郡司: (^^)

 

あきらかに私の位置に鹿が立つ

 

𩵋:見逃してた おもろいな。

 

郡司:オープンワールドゲームで起きたバグみたいな景にひかれました。

 

𩵋:それうけるな。

 

郡司:私の位置に鹿が立つってのが、鹿が私のすごい近くによってきているとも解釈できるのだけど、個人的にはバグって私と鹿のオブジェクトが重なっている感じのほうが不気味でおもしろいと思う。〈あきらかに〉であえて説明的に視点を俯瞰したところに持っていくことで、私と鹿を観察している私がいる、みたいなシュールな構造を作っていますね。

 

𩵋:〈あきらかに〉の俯瞰はすごいよね。なんか『ちびまる子ちゃん』のナレーションくさいね。

 

郡司:まるこ「あたしの位置に立ってるのはなんなのかね」ナレーター「あきらかに鹿である」

 

𩵋:(爆笑)

 

郡司:まることナレーターのやりとりが飛躍しすぎててやばいw

 

𩵋:おもろいなそれ〜。(爆笑)って書くしかないくらい笑った。

 

郡司:そっちはぱっとみでどう読んだ?

 

𩵋:なんか奈良の鹿を想像して、人の通り道に鹿、土の地面に主体、みたいなシンプルなイメージだったな。

 

郡司:寝てる主体の上に鹿が立ってるってこと?

 

𩵋:いや、境内って石畳みに対してすぐ横に土の地面で、ある意味レッドカーペット的じゃん。

 

郡司:理解。そこが本来なら私の位置ってことか。いやさ、私の上に鹿が立ってたら完全に『日常』のだと思った笑。

 

𩵋:『日常』わかるなあ。

 

郡司:絶対『日常』でそういうコマあるやろ。

 

𩵋:あらゐけいいちさんの絵ってそういうのだよね

 

郡司:(あらゐけいいちのLINEスタンプ) この上に鹿みたいな。

 

𩵋:はーwwwww わかるーーーーーつうかまじであった気がする。

 

郡司:いろいろとわかってしまったな……。

 

いうれいは給水塔をみて育つ

 

𩵋:寓話的だけどなんか別にファンタジー振りじゃないのは給水塔の業務感かな?業務感って言ってわかるかなこの、コンクリートむき出しっていうか。だから水場と幽霊ってついてそうだけどこれはうまい回避(脱臭?)なんだよね、間に物理的なコンクリートがあるからね。

 

郡司:ふるさとの山/川/海をみて育ったみたいなことはよく言われるけど、この句にはもう死んでる幽霊がさらに成長していくおもしろさと、給水塔をみて育ったのか……という困惑がある。説明するのが難しいけど、個人的には初読の印象は切ない感じだったな。なんかこの幽霊って地縛霊っぽくて、ずっと給水塔の近くをうろうろしたまま何年も経っちゃったのかな……みたいな。それか別の読みだと、幽霊全般は給水塔をみて育つもんやで、みたいなことを言わんとしてるのかなーとか。まあどっちにしてもなんか切ないっす。

 

𩵋:そうね......。

 

郡司:〈幽霊〉と〈給水塔〉と〈育つ〉の言葉の連関が「ぼくたちの架空の団地生活の思い出」みたいなノスタルジーを連れてくるのよな。

 

𩵋:最初に全体のイメージで話した寂しい部分。給水塔のなんらかの事故で死んでしまった子供の幽霊じゃないことだけ願っとくか。

 

この秋のをはりの旗を配らるる

 

郡司:旗って配られるとなんかうれしいっすよねーっていう。秋だし運動会の一場面かな? 〈をはり〉が晩秋ともとれるし〈をはりの旗〉(優勝旗?)ともとれるのがうまいと思う。
もちろん場面をあまり限定しなくても読めて、季語の神的なやつから旗を配られたみたいなイメージでもおもしろがれるし、仕事かなんかで旗を持たされているとも解釈できる。
どちらにしても旗を配られたときの謎の高揚が伝わってわくわくするね。あとやっぱり言い回しがかっこいい。〈この〉から入るところとか。

 

𩵋:うわー優勝旗の解釈いいね。なんかそれまで一致団結して頑張ってきたクラスとかが「俺たちの秋が終わった(ダブル罫線)(余韻)」みたいなのね。
僕は結構抽象的に読んだかな。節目としての旗なのかなって、でも旗ってそれだけでモニュメント的なあれがある感じするよね

 

郡司:うん、基本は抽象的な句だと思う。ほどほど詩的なワードにしつつ、かつ実生活にもそれなりに絡んでくる語として〈旗〉を選ぶ丁度よさがある。

 

あした日に焼けた体がここにある

 

𩵋:この句は僕らの作句会でも一回話題に出してもりあがったよね。シンプルに面白いんだけど、面白いだけじゃなくてこれは〈日焼け〉の把握がまじでテクすぎる!天才ハッカー黒画面緑文字コマンド音速タイピングくらいテクい。
経過を予測する詩情なんて信じられん...でも確かにそこには夏の諸々と楽しそうな人たちが見える...これを詩情といわず何と言おうか...あってたまるか...(反語の嵐)

 

郡司:未来ー過去ー現在がごちゃまぜになっている感じおもしろい。時制的キュビズムといえばいいのか。〈経過〉を意識させる季語だからバチっときまってるんかな。

 

𩵋:そう。季語の把握がすごいと思う。語彙力がなくてそれ以上いえんけど、これは〈日焼け〉の把握がすごい。

 

郡司:実はこの句読むまで〈日焼け〉に対して俺は〈経過〉をあんまり考えてこなかったというか、焼け終えた体しかこれまでイメージしてこなかったから、あらためて季語の持つ含みを教えられたって思うわ。

 

𩵋:そうなんですよ。僕も全くそうです。ていうか、日焼けって、日焼けしてはじめて日焼けになるんだよね。

 

郡司:日焼けしてはじめて日焼け……そうなのよ……日焼けの日焼け性が迫ってくる……。

 

𩵋:この句はもう止まらんのですよ。僕たちは日焼けをするたびに、昨日の体は今日の日焼けになる体だったなと思い返すんですよ。この句を読んでしまったがが故にね......。

 

郡司:罪深い俳句だなおい。夏が楽しみだわ。

 

𩵋:ほんとにね。これは多く語れてよかった。

 

かなかなという菱形のつらなれり

 

郡司:これはみんな引いてるけど、まあベタにおもしろい句ですよね。かなかなってヒグラシの鳴き声のことだけど、ここでは同時にヒグラシそのものも指してる。そんで絶妙に記号化されたセミがつらなっているという。菱形がウケるよな。確かにセミを記号的に書くなら菱形になる笑。聴覚的刺激と視覚的刺激のまざる感覚が気持ちいい。

 

𩵋:たしかに菱形だよな。わかる。引かせてもらった句に少し触れるけど

蜥蜴ゆく早さに喉をとほる水

もたしかに蜥蜴ゆく速さだなって思うし、モチーフへの魅せ替えみたいなところが巧みだよね。刺激の交差が気持ちいいのすごくわかるな〜。つうか 『アンパンマン』でばいきんまんがかなかなビームしたらサイケな菱形だろうね。

 

郡司:置換うまいよな。あとばいきんまんのサイケなビームわかる。ダイサイコみたいな感じやな。
(ダイサイコ:ゲーム版ポケットモンスターにおけるエスパータイプスペシャル技。)

 

𩵋:例えまくるのうけるな。

 

郡司:あと、この菱形がつらなる感じは若干イクニチャウダーの演出っぽさもあってなんかおしゃれなのよな。

 

𩵋:(また例えんのかい)あんまり詳しくないけど『輪るピンクドラム』の原作者さんのペンネーム的なやつだっけか?架空の創作グループの名称みたいな。

 

郡司:そうそう、これのセミバージョンみたいな。


f:id:kazuto-06040905:20210525010630j:image

 

𩵋:お、なんかおもしろいね!これは今この記事を読んでくれてる人にもぜひ調べてみてほしいね。

 

郡司:せやな~。てかなんでこの句ってやたら引かれているんだろう。

 

𩵋:〈つらなれり〉の収まりの良さとか韻律でも気持ち良いよね。

 

郡司:ふむ。

 

𩵋:でもこっち

海鼠ころがり遠メガホンの何か言ふ

みたいな叙情もすきだな。

 

郡司:海鼠に熱中している感じええな。

 

𩵋:うち田舎だからよくわかるけどさ、まじで何言ってるかわかんねえんだよな。

 

郡司:wwwwwwww

 

𩵋:あれ意味ないよ。しかも休日の朝10時とかにやるんだよ。あれどうなってんのよ。みんな寝てるだろ。(と言いたいところだが感覚的に田舎の10時は東京の13時である。)

 

郡司:しかもしゃべる間が短くて被るんよな。

 

𩵋:ほんとに......ていうか今回ほんとに自由に話したね。ほんとに焚火の雰囲気だった。

 

郡司:焚火のよさ出てたね。

 

𩵋:ということで!ここらへんで終わりましょうか〜。みんな絶対『エレメンツ』買うんだZE!

 

郡司:お疲れさまでした~。

 

 

 

 

郡司和斗

本野櫻𩵋

【第二回】「ねむらない樹vol.6」第三回笹井宏之賞

 

郡司

第二回は「ねむらない樹vol.6」ということで、まずは順当に笹井宏之賞から読んでいこう。大賞は乾遥香さん。北赤羽歌会等でそこそこ一緒にやってきた方で、個人的に読むのを楽しみにしていた。
桜魚さんは基本的に俳句メインでやっていると思うんだけど、『夢のあとさき』にはどんな印象を持った?


𩵋
よろしくお願いします!(バカ声量)
……ほうほう、お知り合いだったとは。そうですね、短歌あまり触れ慣れてなくて「ん?」ってこと言ってたら申し訳ないんですが、全体的にみてリフレインを駆使した歌が多いなと思いました。俳句は単純に短いからリフレインはよっぽどじゃないと成功しないけど「夢のあとさき」ではリフレインによって同じモチーフの認識が変わったり、変わらなかったり、そこに視点がある歌が多くて、なんか楽しかったです。

 

郡司
そうね、認識がずれていくことで近い語彙が繰り返される歌は多いと思う。あと、視点が少し引いたところに常にあるね。連作では〈わたし〉が繰り返されるので、〈わたし〉を意識する「私」が自然と浮かんできて、TPSの視点になる。さっと見た印象はそんな感じかな。作中の舞台はまああるあるというか、バイトして遊んでおしゃれしてみたいな感じですね。オーソドックスな並び。
細かいところは歌を個別に読むなかで指摘できればと思う。

 

後輩にやさしくしなきゃ先輩にやさしくしなきゃ それぞれの声

 

郡司
最初に目にとまった歌

四句目までは主体の強迫観念かと思って読んでいたんだけど、一字空いて〈それぞれの声〉ということで、職場の先輩たちと後輩たちがそれぞれ思っている(?)ことを主体が観察しているっぽい構図に転換される。A+B=AB´みたいな句形もカッチリ決まっててよかったです。

 

𩵋
それ、僕は初めからその構図(観察的)で読んでました。でも、改めて見ると途中まで強迫観念ぽくもありますね。一字開けは時間の経過や切れなど色々意味があると思うんですがこの一字開けは時間というよりも視点の切り替え、例えるなら漫画のコマ割りみたいで面白いですね。


郡司
そうね、コマがカチって変わって、それまでが結句に収斂していく感じがよかった。

 

ベビーカーの男の子がわたしに手を振ったのはわたしが先に手を振ったから

 

好きな人がわたしに寝顔を見せてくる見せられる前より好きになる

 

𩵋

いきなり2首あげちゃいましたがこれは比べてみたくて、他者の行動が自分によって、または自分の行動が他者によってどうこうみたいな。1首目ってあんまり深いことは言ってない気がして、ああこういう読みぶりもあるのかーって思ったんですけど、2首目は一歩踏み込んできてる気がして、その違いなんかも面白かったです。

 

郡司
どちらも因果関係をあえてみせてくる歌だね。〈深いことを言う〉をどう捉えればいいかちょっと困ったけど、どちらも良いポイントはあると思う。一首目は情報の順番がおもしろい。わたしが手を振ったからベビーカーの男の子が手を振りかえしてくれたという場面を、先に男の子から言及することで認識をずらしてくる。もしくはずらすというより、思わず反射的にわたしが男の子に手を振ってしまったことを、男の子がわたしに手を振ってくれたことによって改めて気づかされたという無意識の領域の話をしているのかもしれない。そう考えると一首目もそれなりに深いことを言っているような?
2首目は〈見せてくる〉がねじってあるところかな。好きな人は寝ているわけだから、寝顔を見る/見ないの選択はわたしにあるわけで、〈見せてくる〉〈見せられる〉の受動的な態度を示されると、「この人はいったい何が"視えている"んだ……」みたいな若干狂気っぽいものを感じておもしろい。ただ、この歌、素朴に「ふふ、かわいい寝顔、好きよ(こっそりキスをする)」みたいな、どこか漫画でみたことあるようなチープな場面っぽい文脈に回収される危険があるとも思う。

 

𩵋
1首目は情景をそのまま言葉に書き出したように思えたけど、無意識の領域っていうその読みを聞いて納得しました。2首目もなるほど、たしかに〈寝顔〉を”本当に寝ている顔“と読んだらそうですよね。その狂気っぽい感じ。逆に特殊読みかもしれないんですが僕は「本当は起きてるのに敢えて見せる」もしくは、「眠たい時に話しかけてこっちを向いた」ことの婉曲かと思って読んでました。でもこの読みしちゃうとますますチープ回収しちゃうことになるかな。


郡司
まあどちらも乾さんが多用するテクニックという感じなので読んでいて安心感はあった。

個人的には

 

黙って歩く とはいえ雨が降りだせば雨の話が始まるでしょう

 

とか

 

前髪が混ざるくらいに近づいて笑いあうだけ 今日が今日だけ

 

が一番よかったかなー。フレーズがかっこいいなと。〈とはいえ雨が降りだせば~〉のギアの上がっていく感じとか、〈今日が今日だけ〉の〈が〉でちからをこめつつでも妙にチャラいところがおもしろかった。


𩵋
次は『KILLING TIME』瀬戸真司さんの作品です。

 

銀色の百円玉を挿す前に握って確かめる 確かめろ

 

この歌が好きでした。自動販売機で何か買うとか、駐車料金を払う場面とかで小銭を筐体に差し込むの結構好きなんだけどさ、いやみんな好きか、なんかワクワクするんだけどさ、この歌では硬貨を確かめろって自戒ぽく言ってるのが面白かったです。でも銀色までわかってるなら多分50、100のどっちかだろうし、握って確かめられることの意味が金額の判別って意味とちょっとずれているのかなって思いました。

 

郡司
おもしろい歌だと俺も思う。自戒ね。命令系で一首が締まるので比較的ロジックや感情が汲み取りやすいかも。序盤でまずかっこいい歌やね。

 

引っ越していく友達に後ろから毒のビームをうちたい気持ち


郡司
こういう子供のごっこ遊びの妄想みたいなものもけっこうおもしろかったな。

 

𩵋
これは僕もすごく好きなやつでした。状態異常の「毒」ってなんか鈍足だよな〜ってそこが共有できる嬉しさがありましたね。

 

レモンサワーに薄い時間と濃い時間みんなが大人になったら夜は

 

郡司
とかも、子供側の目線がちょいちょい残っていそうなところが特徴的だった。

 

𩵋
〈夜は〉の流し方もおしゃれでいいですね〜。罫線を二本つけたくなるね。
……あと面白いと思った歌は

 

きみが黙祷しているあいだ世界はない ひとりで仲直りする影の者

 

黙祷の静寂はたしかにそんな感じで、目を瞑ってる間なにも聞こえないから例え世界がなくなっていても気づかないなって。影は自分とくっついていて初めて影だけど目を瞑ってる間の影はもしかしたら縦横無尽に駆け回ってるのかもしれなくて、もしかしたらピーターパンなのかな。面白いと思いました。


郡司
下の句はやや謎だけど、上の句が観賞しやすいので(ヒントっぽくいけるので)バランスがちょうどいい感じするね。〈影の者〉のそういう解釈もけっこうありだなと思う。
こういう決め打ちの歌にもいくつか種類があるように思えて

 

悪い夢は悪い子供のためにある なんてね いっそう長い道行き


郡司
とかは上の句で展開したことを打ち消して別ルートを提示する歌だけど、同じ上の句で決め顔する歌でもいろんな投球フォームを連作中で披露してくれてありがとうございます、みたいな気持ち


𩵋
「なんてね」の軽さが妙に気持ち良いですね。
この連作は全体的にバランスが良い歌が多い気がしました。ちゃんと韻律は固いけどそこまで固くなりすぎず力の抜けている感じ、余裕があって、いい意味で読んでいて詰まるところがなくてよかったです。あーはいはいわかる決め打ちね(ドヤ顔)。

 

郡司
「決め打ち」は俺が適当に言っただけw
そろそろ次の人いきますか


𩵋
……いきましょう!

次は嶋禀太郎さんの『羽と風鈴』ですね
一首目の

 

この年の風鈴市は無いらしい整体師から聞く町のこと

 

客と会話することも業務に含まれるような職業の人から街の様子を聞くこと、小説では割と最序盤に展開しがちなギミックだと思うんだけど、例えば推理小説に多くて、横溝の『獄門島』も主人公が散髪屋に島の様子を聞く場面が象徴的に書かれてる。この歌はそれが〈風鈴市〉というなんとも素朴そうで地元では愛されていそうな絶妙な部分に焦点を当てたのがよかった。連作全体の細かな動きを捉える雰囲気を1首目でうまく匂わせていると思う。

 

郡司
きちんとテクを使っている感じやね。他の受賞者と比べるとどうしても控えめな印象を持つけど、ちょこちょこ好きな歌はあった。

 

ひさびさの長い休みが明けてゆくきみどり色のバナナを裂いて

 

連休明けのちょっと憂鬱な気持ちがなんとなくきみどり色のバナナから伝わる。バナナのニチャァって食感もダルさがあって、うまく上の句とハマった印象。

 

細長くあいた窓から吹きつける風の涼しい帰りの電車

 

最近はずっと窓あいてるよね。〈吹きつける〉がやや過剰な気もするけど、下の句のリリースポイントの遅さがよかった。最後に電車ってわかることで、すーっと景がひろがる。背景にあるのはコロナ対策だけど、文脈が文脈なだけに重くなりそうなところを描写に留めることでバランスがとれているなと思った。


𩵋
バナナと連休明けの心持ちっていうのは面白い取り合わせだなぁ。

 

いくつかの主語をわたしにして話す企画書にある近い未来を

 

𩵋

企画書にある近い未来という措辞、面白いなと思いました。一人称が時と場合で変わるっていうのはありがちなことかなと思いますが、これもバランスが取れていていい歌じゃないかなと思います。

 

郡司
これ、個人的には意外と読みが安定しなかった。いくつかの主語をわたしにするってことは残りのいくつかは俺とか僕とか私たちになると思うんだけど、俺、僕のラインと私たちのラインでちょっと印象が変わるというか。

それか商品名か企業名なのかな。

 

𩵋
なるほど、たしかにそうですね。
僕は企画書に書いてあることの恩恵を少なからず私も受けるだろうみたいなことかなとも解釈しました。未来を話しているというのもあって、その場所が公共の施設とかだったら自分も使うしね。物理的な主語というより主役としての主語と言ったらいいかな。

 

郡司
俺はこれで嶋さん最後で、

 

ついでにと思いあなたの自転車のサドルを磨く夏の終わりに

 

郡司
ちょっと変態っぽくてよかったな
〈ついでに〉とか〈夏の終わりに〉とか、どことなくすました語彙でサンドイッチされているのも余計に無意識のフェチが浮かんでくるようでおもしろかった。

 

𩵋
フェチだな〜。でもこういう〈ついでに〉わかるな〜。

……じゃあ次行きますね。
川村有史さんの『退屈とバイブス』
全体的に軽みがあって好きでした、でも軽いだけじゃなくて例えば

 

EDMに盛り上がるための連打音 団地をどんどん遠ざけながら

 

「EDMに」の “に” 「団地を」の “を” と細かく意識されてる部分が逆にすっと説得力があります。


郡司
〈団地をどんどん遠ざけながら〉はなんかすごいよなあ。確かにEDMと団地および団地的なものって正反対というか、交わらない世界って感じがしなくもない。

 

𩵋
うまい取り合わせだと思う。最近(個人的観測)俳句の取り合わせってなんだかんだ連想の余地がある取り合わせが多いから、これはあまりにも遠くて嬉しかったな。

 

国道に出てからもこの四駆はレア 信号の雰囲気が呼びてく

 

〈信号の雰囲気〉っていうのも面白かったです。国道の信号は一直線で等間隔に設置された信号がブワーっと変わっていくイメージがあるからそれとも呼応します。


郡司
車の歌がぽつぽつあるよね。

 

エンジンは軽自動車にも付いているブルンブルン動かさなきゃ意味ない

 

郡司
ブルンブルンとかあらためて使うとなると躊躇うオノマトペだと思うんだけど、軽自動車の自尊心?を表す上ではこれくらいベタなほうが歌の調子が出てきていいと思う。


𩵋
ブルンブルン言おうと思ってました。多分保育園以来使ってないオノマトペだな。

 

何回も来た事がある部屋のなか友達の服を踏んづけている

 

これすごく良かったな〜。独身男性同士とかにありがちなのかもしれないけど、なんか自分の家との境界線が曖昧になって、だんだんお互いが何も配慮をしなくなっていくのよね。


郡司
休符の歌って感じで読みが楽なのがいいね。俺もいるよこういう友達。でもこの主体は踏んづけていることに意識的であるだけまだ良心が残っているな笑。

俺はもう踏むことになんのためらいもない笑。

 

𩵋
わかるもう相手も何も思ってないよ多分(笑)。

 

郡司
だよな。

 

僕ののろい一つ一つのスピードがアクションになって僕を押しだす

 

郡司
これもなんとなく車のイメージを借りて読んだ。一つ一つのスピードがアクションになるってもうなんか言い回しがむちゃくちゃなんだけど、でもギアを2速3速って上げていって車が走り出したとき快感に近いものは受け取れる。

 

𩵋
なるほどね。〈押し出す〉の言い切りも勢いがあるね。
……じゃあ最後。

 

雑種ぽい野良犬が野良犬ぽい足取りで進んでる 浮き輪を知らなそう

 

この歌、連作終盤の方に出てきますが、最初の方に

 

野良犬を見たことがないと言う人と野良犬が居そうな浜へ行く

 

という歌があるんですよね。どっちも犬+水要素というか、似ている気がしました。こういうこと短歌の連作では結構ありますか?伏線回収とまではいかないけど要素の似ている歌が時間を置いてもう一回出てくるみたいな。


郡司
伏線回収は短歌連作で一般的にそこそこあるね。
やっぱ読後の満足感がちょっと上がるよね。
最初の野良犬の歌を経てからその最後のほうの野良犬の歌を読むと、野良犬に出会えたことの感動が倍増する感覚はある。
バイブスあがる的な。

 

𩵋
〈浮き輪を知らなそう〉っていう措辞もなかなか面白かった。浮き輪って夏の季語だけどちょっとだけ春感あるように思うから、この歌は平和な足取りで読めた。

 

郡司
たしかに浮き輪単体だと春っぽいかも。〈浮き輪を知らなそう〉ってかわいいフレーズだし相性いい感じするね。

 

𩵋
そうなのよ。やっぱり川村さんの歌は言葉の幅がちょうど良いね。受賞者の中では一番好きな歌人でした。

 

郡司
そろそろ次いきますか。

 

𩵋
いきましょ。

 

郡司
手取川由紀「オレンヅ」。受賞作の中だと個人的には一番ノリにくかったな。テーマがというより一首一首のクオリティの問題で。

よかったやつだと

 

平和を仕事にするとかいうポスター そのために着る新しい服

 

上の句の、そういう組織や仕事に対するちょっとしたいじり?自虐?皮肉?が効いていてよかった。下の句でもう一回展開するところも歌に膨らみが出て好みだった。

 

𩵋
どんな服なんだろうな〜。

 

チェルシーを一個ポケットに忍ばせる それははじまりのテロリズム

 

梶井の『檸檬』あたりの文脈からきた歌なのかなと思った。『檸檬』に影響受けた作品はいっぱいあるから僕が過剰に反応しすぎなだけかもしれないけどね。でも檸檬チェルシーなのかと考えても妙に納得感があって読めました。ただテロリズムの過剰さをどこまで汲んだらいいかは難しかったです。このテロリズムはちょっとおふざけじゃないけど、敢えて大袈裟に言うみたいなことだとは思うんですけど。

 

郡司
チェルシーテロリズムの響き合いをどれだけ迎えて読むか悩むところだけども、うーん、テロリズムの過剰さについては、割と本気で言ってそうな感じがするなー……。
檸檬』のイメージはよくわかる。

他の歌のテンションが妙にシリアスだから、ベタ寄りに読めるけど、まあでも一首だけでみるとちょっと茶化して言っている感じは確かにするね。

 

𩵋
たしかに連作全体の空気感で読むとまた変わってきますね。

 

郡司
他、気になった歌だと

 

切り取った花に値段がついていてそのうえ消費税が加わる

 

郡司
あたりまえすぎる社会の仕組みをあらためて言語化すると認識がバグってくる感じがあるよねーという。

お花を買ったりプレゼントする行為って具体的な利益のためではなく人間の感情のためにやってることだと思うんだけど、その行為と消費税という実像の掴みにくい物との組み合わせもおもしろかった。

花を買う、消費税を払う、同じ謎行為でも、片方は比較的人を幸せにするのにもう片方は人をイラつかせる……。

 

𩵋
強い歌のなかで僕が一番いいなと思ったのは

 

引き金の軽さを知っている指でよければあやとりどうぞ 川です

 

この歌は前後で温度差があるけど、前半の勢いがそのまま後半に活かされているように思えた。「あやとりどうぞ」ってちょっと屈んで媚びてる感じ、嫌ぁ〜な感じがすごいうまく出てる気がした。あと、〈川〉とか意味が強くて詩歌で扱うのは難しい言葉だけど、あやとりになると途端にシンプルになるんだよね、ここらへんもこれは「橋」や「塔」じゃなくて「川」だなって思う。

 

郡司
確かにここの〈川〉って川の持つ文脈から比較的離れたただのシンプルな川(に似せた糸)だな。その脱臭はけっこうテクいね。

 

𩵋
そうでしょ?そのテクもあんま見え見えじゃない感じで。ほどよいね。


郡司
言われて気がついたよ、ありがとう。

 

𩵋
気にすんな。俺たち友達だろ?

 

郡司
次いきますか。

 

郡司
向井俊太『ここにはいない』
他の受賞作と比べるとすごいポエジーが高いというか、笹井さんに寄せてきているなという印象を持った。

まずよかったのは

 

さようなら シャワールームの妖精に愛されていた一輪車たち

 

〈さようなら〉の支えがすごいなと思った。二句以降をさようならの一言で包摂している。〈シャワールームの妖精に愛されていた一輪車〉って基本は誰も初見だと思うんだけど、でもなんか初めて見た感じがしないというか。少年期の残像が無意識に重なるから、この謎の一輪車にひさしぶりに会った気がしてくる。あらためて初句に戻ると、さようならがなんか爽やかな感じもして好きだった。

 

𩵋
難しいことをさらっとやってるな。〈さようなら〉が頭にきてるのにそっちが足枷になってないのがいいね。いやでも、たしかにどこかで見 たような……。僕もセピアの記憶を持ってる気がしてきた。

 

郡司
そう、セピアの記憶に、一輪車が…!

 

この星の時代に点を打つ人の なんておおきなえんぴつ削り

 

𩵋

とても寂しくていいと思いました。もしそんな人がいるとしたら、実はえんぴつ削りを使うことってほとんどないのかなと。無用の長物なんですよねきっと。「時代」という言葉は色々解釈できますが、僕は歴史の節目とかそんな曖昧なものかなと思いました。この寂しさはすごく好きな寂しさです。いま時代が変わっているかどうかは点を打つ人自身もわからなくて、過去になってやっと点を打つのかなと。結構物語読みしちゃいましたが好みの世界観でした。
ただ、世界観と言っても

 

真夜中の冷蔵庫から飛び出したらくだの首をやわらかく抱く

 

の雰囲気とはまた違っていて、ちょっと社会詠に迫るような。そういう感じよかったです。

 

郡司
視点が大きくて気持ちいいね。

点を打つ人は学者なのか神様なのかわからないけど、その人が使っている〈なんておおきなえんぴつ削り〉のその規模感に納得がある。〈時代〉の取り方は俺も桜魚くんと同じ。

 

星空をかき混ぜている男性が背中に飼っているシオマネキ

 

郡司
似たような?視点の歌ちらほらありますね

 

𩵋
たしかにね。

 

満月の表彰台でいつまでも涙を流すおとうとの鶴

 

郡司

どこまでズラすか、みたいなおもしろさが一つあると思うんだけど、満月とか涙とか鶴とか割とイメージのつながりがとれていてバランスよいなーと思った。

 

𩵋
言葉のバランス良いよね。さっきあげた冷蔵庫とらくだの距離感もなんだかよかったね。
にしても表彰台を夜に見たことないなと思って、満月の表彰台ってそれだけで俳句読みたくなった。

 

郡司
あーわかるw この連作の取り合わせ、どれも俳句にしたくなる。

 

𩵋
よね〜モチーフが近いんだろうね〜。

 

旧型の先生ロボがはなびらをいちまいいちまい配ってまわる

 

これとても良かった。今回読んだ中では一番良かった歌。
と言ってもこれはこうでっていうロジカルな分析はしてないんだけど、たぶん新型の先生ロボは四十本ぐらい手をにょきにょきっと出して一気に配るんだよね。でも旧型先生は一枚ずつゆっくり配るから男子から「おっそ」とか言われてるんやろうな。でもはなびらは一枚一枚手渡されたい。はなびらはそういうものだと妙に納得させられちゃった。てへ。


郡司
一年生?とかに配っているんかね。たしかにこの先生ロボは男子から囃し立てられてそう。

 

𩵋
これ教育現場読み(?)すると入学したてとかで教室掲示作るのに目標とか夢とかを花びらに書かせるやつだと思う。

 

郡司
うん。おれもそれがよぎった。

 

𩵋
だいたい最初の生活の時間にやるよな。

 

郡司
まあでも換喩的?に読むよりはなびらははなびらだと読みたいところもある。桜のはなびらの質感とか匂いも味わいたいし。

 

𩵋
わかるわかる。小さいはなびらを全員に渡していくって学園ものドラマの卒業式のシチュエーションとかでちょっとありえなくはないと思うな。いい歌だった。

 

たましいといずれ別れることになる 音楽性の違いによって

 

郡司
バンドが解散するノリでたましいとか言ってくるのにウケた。

 

𩵋
うわ!(笑笑)。

 

郡司
たましいとか体とか心とかがバラバラになっていくイメージの中で、〈音楽性の違い〉ってへんに冷静なところもおもしろかった。音楽性の違いとか言ってる場合じゃないよ!

 

𩵋
いづれ〉とか結構器用だと思うな。使いづらい語彙ではある。つうか僕の周りにもいたけど音楽性の違いとかで解散してんのは本当は大体金銭トラブルなんだよな。あ!そういえば僕も音楽やってます!YouTubeで聴いてね!(バカ声量)


𩵋
……ということで、連作最後の歌でしめますか。

 

初めての海で物珍しそうに風を触っている小さい手

 

素朴でいい。やっぱりノータイムでこれいいなってなる歌や句って結局強く印象に残る。歌の内容はもはや解説するまでもなくわかりやすいと思いますけど、ちょっと俳句の

 

まゝ事の飯もおさいも土筆かな
星野立子

 

を思い出しました。「物珍しそうに」とか「風を触っている」とか変にずらさず淀みない言葉であることが清々しいですね。

 

郡司
やっぱ〈物珍しそうに〉の爽やかさと展開力がよかったな。

 

𩵋
もしBGMつけるなら「さよならの夏」だね。

 

郡司
急に切なくなるな。

 

𩵋
え?音楽性の違い?

 

郡司

 

𩵋
ッスー……じゃあ終わりますか!

 

郡司
そうだね。おわりますか。長くなりました!かなりバラエティ豊かで楽しかったです。お疲れさまでした~。

 

𩵋
たくさん読めて楽しかった。結構多くの方に読んでいただけて嬉しいです!
次が楽しみだな!(バカ声量)

 

郡司
以上、第三回笹井宏之賞でした!

 

 

 

 

 

郡司和斗

本野櫻𩵋