【第四回】平岡直子歌集『みじかい髪も長い髪も炎』

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 

郡司和斗 十首選
できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから
下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら
そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって
いつか死ね いつかほんとに死ぬことのあいだにひしめく襞をひろげて
絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある
セーターはきみにふくらまされながらきみより早く老いてゆくのだ
星座を結ぶ線みたいだよ 弟の名前を呼んで白髪を抜けり
喪服を脱いだ夜ははだかでねむりたいあるいはそれが夢の痣でも
飛車と飛車だけで戦いたいきみと風に吹かれるみじかい滑走路
ねえ夜中のガードレールとトラックのように揺れよういちどだけ明るく

 

本野櫻𩵋選 十首選
わたしたち浮浪者だっけ、歯にメモを書いてつぶれたペン先だっけ
きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと
完璧な猫に会うのが怖いのも牛乳を買いに行けば治るよ
地下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら
なにもないように見えてもドアノブを意識しながらゆくべきだろう
裸木よまひるの川面をあたためるひかりが大きな舌にみえない
できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから
ベビー服のうえを模様が通りすぎ赤ちゃんはみな電球のよう
歯みがきのときだけ感じる指揮台があるじゃない、ほら、わたしたちには
似ていない悲しい人体模型から小さなタンバリンを抜きとる


和:今回は平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』を読んでいきたいと思います。

 

𩵋:はじまったな〜〜〜〜〜〜!!!!!

 

和:いつも通り全体的な感想から入っていきますね。まずそもそも、全体像を語りにくい歌集だと思いました。確かに歌集全体を貫くテーマというかテンションはうっすらと感じとれますが、カチッとはまる語彙が見つからないです。気が狂いかけているこの語り手の言葉をなんとか捕まえようとしては掴みそこねる。かと思ったら突然振り返えられたりもする。その繰り返しで気がついたら通読していました。表紙はかわいい感じだけど、内容はスリリングです。脳みそ直接握られているような読後感。とてもおもしろかったです。桜魚さんはどうでしょう。

 

𩵋:そうですね、自分も概ねそんな感じだったかな...。自分としては特に前半は目を引く歌が多かったんですが、50頁あたりから傾向が変わってきて、というのは露骨な艶やかさが少し感じられて目が滑ってしまった印象でした。後半は郡司くんが言うように脳味噌を掴まれている感覚、ありましたね。意図的に読ませようとしないというか、思ってもいないような言葉が次に来るってのが多かった印象。だから自分が引いた歌は少しわかりやすいものに偏ってしまったかなとも思ってます。

 

和:傾向が変わるのはわかる。というか新人賞とった作品の可読性? 飲み込みやすさ? がやたら高くてそこで一回バグるんですよね。

あ、艶やかさのところだけもうちょっと詳しく聞いてもいい?

 

𩵋:そうね、中盤に差し掛かったあたりで一気に「あなた」の存在が見え出したというか、急に退廃的な恋愛とかに扱われやすい煙草とかのモチーフとの取り合わせが増えたっていうか。

 

和:なるほど、モチーフレベルで、ってことか。

 

𩵋:そうそう、なんか突拍子もない取り合わせは多いから逆にそういうのがわざとらしく見えちゃったのかな。

 

和:にゃるほどね文体の話かと勘違いしてたから聞けてよかった。じゃあ1首1首みていきますか。

 

𩵋:いこう!!

 

きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと

 

まあわかるなというか、別に恋愛じゃなくてもいいよね、親子でも。愛と時間みたいなところを感じたかな。結構繋げて読んだんだけど、時間は常に存在して僕たちは当たり前のように追われていて、特に愛があるところにはより時間を感じると思うんです、なんかアインシュタイン相対性理論を子供に説明する時に、「好きな人と一緒にいる時間は短く感じるよね」って話ししたみたいな。内容的にはそんなところでとりました。

 

和:全体的な解釈は桜魚さんと近いですね。上の句の言い回しが不気味でおもしろいです。からだ=お墓みたいな把握の仕方。〈頭上に秒針のおと〉は神経の研ぎ澄まされた感覚を表しているのかなと思いました。そういえばアインシュタインの舌の歌もありましたね。ねじこむやつ。

 

𩵋:あああ、あったね、ねじこむやつ

 

ちゃんとわたしの顔を見ながらねじこんでアインシュタインの舌の複製

 

𩵋:なんか当たり前のように見ている写真をより深くいじられるっていうかそこを見つけてくるのおもろいなって感じするね、読者というより作り手として面白いなって感じ。

 

和:ねじこんで、は願望……?だとしたらはじめてみるタイプの欲求。

 

𩵋:ねじこんでが欲求というより私の顔を見てキスしてという欲求かと思った。

 

和:いやまあキス的な行為をする歌ではあるんだけども、アインシュタインの舌の複製をねじこんでほしいみたいな歌なのかと。それかキスするときに不意にアインシュタインの舌の複製が脳裏を過ったみたいな。あんまり筋を追わずに記号的に言葉を受け取って評すればいいと思うんだけどね。

 

𩵋:これだとしたら後者で読んだなあ。舌は舌でもアインシュタインの舌とキスって結構遠いからそれがおもろいよね。

 

和:そのほうがエロキモワンダーでおもろい気がする。

 

絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある

 

𩵋:これ取るか迷ったな。

 

和:〈一月の川一月の谷の中〉じゃないけど、手元の絵葉書から広がっていく空間が良い。言い回し的に、絵葉書の菖蒲園は昼間で、一月ではないんだろう。ゲシュタルト心理学の図みたいな歌だね。菖蒲なのも良いと思う。なんかへんに詩的すぎなくて。

 

𩵋:もう完全に一月句と同じ面白がり方って感じするね。菖蒲なのは絶妙だよね、個人的に菖蒲と夜は近く見えたけどこれは俳句的な近さかもだからあれかなそこまで気にすることもないかな。

 

和:確かに夜と菖蒲はちょっと近い感じはある。

 

𩵋:それでとらなかったかな。

 

和:でも短歌だとこの程度の近さは傷というよりまだ演出の範囲内って感じだな。あと歌われているのは実際の一月の夜の菖蒲園ではなくてそれを思う主体の認識とか思念みたいなところにあるから、それが「近い」とかあんまり俺が考えない理由。

 

𩵋:そうねそうね。

 

和:意味的にも方法論てきにも「スライド」に主眼があるからそっちを意識して読む?的なね。次いこ。

 

わたしたち浮浪者だっけ、歯にメモを書いてつぶれたペン先だっけ

 

𩵋:あたいってば『おやすみプンプン』とか『悪人』とか『ゴールデンスランバー』とか『祈りの幕が下りる時』とか逃亡シーンのある作品が大好きじゃん? 浮浪者って別に逃亡者ではないんだけどさ、浮浪者と潰れたペン先ってすごくグッとくる合わせ方で、しかも歯にメモをっていう、意味は無いんだけど、そうそうわかるわかる逃亡中ってそういう気持ち悪さがあるよねって感じに妙に納得できちゃうのよね。使い終わった箸を何本もずっと取っておくとかね、公園のトイレで髪洗うとかね歯にメモを書くってことも絶妙にそういう気持ち悪さがあるんだわ。

 

和:公園で髪洗うは草。

 

𩵋:って感じだった。

 

和:取り合わせの歌よね。あとは〈だっけ〉って書いてるから自己認識の不安定な感じする。気づいたら「それ」になっていた、みたいな感覚なんだろうか。

 

𩵋:いやそう、言うの忘れてたけどそれもあるんよ。いつのまにかそうなっていくみたいなね、というか僕はこの歌の主体がかなり浮浪者目線だと思ってるから、常人が<だっけ>って言うことと実際もう浮浪者になった浮浪者がこう言うことにはまた違ったものがあると思ってて、常人→「浮浪者」or「ペン先」、浮浪者→「確認」or「ペン先」みたいな(は?)。

 

和:短歌って浮浪者とかつぶれたペン先(社会的に排除されがちなもの)をなんとなく良さげなものに描きがちだけど、この歌はそれをふつうに怖がっている感じがして、良いところだと思う。

 

𩵋:うおおおおおおお!!それすげえいいなああ!!いま焚火の良さ実感した。

 

和:これが座の文芸か……。

 

𩵋:座の文芸...ってコト⁈

 

和:ちいかわ語録は沼なんよ。

 

地下室が家にあるふりされているわたしの声は重いのかしら

 

𩵋:わいもとったやつや!ガハハ!

 

和:あ、そうだったね。なんか不思議な歌で、誰かに地下室が家にあると伝えられているんだけど、それが嘘だとわたしは既に見抜いているんだよね。その上であるふりされている理由が声の重さに変換されている。事象が特殊であれば理由も特殊というトリビアルな内容なんだけども、妙な納得感がある。〈重さ〉が良い言葉選びなんだろうか。

 

𩵋: まず僕も勝手に喋るけど、挙げるとキリないくらいあるんだけどさ〈ぱち、ぱちと爪が切られていく音だけで動物園がひとつ燃えたね〉とかね、このシームレス感は本当に気持ちよくて、伝わるかわからないけど初めて『ゼノブレイド』のシームレスバトルシステムをプレイした時と感覚的に似てる。ドラクエって敵オブジェクトと衝突するとデレレレレレってなって戦闘モードに変わるのよ、それが「切れ」ね。でもゼノブレイドはフィールドを歩いてるその敵とそのまま戦闘になるのよ。「敵オブジェクト」と「敵」には明確な差があって、この絶妙に切れない、世界、時間が一直線で継続する感じ。これが平岡さんの歌は本当に面白い。だから言葉選びもあると思うんだけど僕はこの段差がない感じがすごく気に入ってる。

 

𩵋:うどんの話しよう。

 

できたての一人前の煮うどんを鍋から食べるかっこいいから

 

𩵋:もうこれは完全に郡司くんなのよ〈直鍋で麺食ふをとこ初つばめ〉っていう知る人ぞ知る「夜な夜な」っていうグループで生まれた伝説の句があってね。もうそれしか頭になかったね。

 

和:名歌すぎて引くか迷ったんだけど、持ってきちゃったね、二人して。

 

𩵋:夜だらだら作業通話してるときに直鍋で郡司くんが麺を食い出すとめちゃくちゃ腹減るのよね。

 

和:一人暮らしはああなるのよ。

 

𩵋:最近やってないけどあれやってた頃睡眠時間もろくに取らずに深夜にバカ食いしてたせいでめちゃくちゃ太ったよ(笑)。

 

和:キャンプのときも太った話してなかったっけ(笑)。

 

𩵋:この歌は思い出とのマッチングが強すぎて取らざるを得ないってかんじだったな。

 

和:そういう出会い方も「あり」だよね。歌会とか句会だと否定されがちだけど、そういう受容そこ大切だったりする。

 

𩵋:結局そういう方が残るよね、体感的に。

 

和:自分史の中で残ってる作品はまさにそういう出会い方をしたものばかりだね。

 

𩵋:ということはやっぱ直鍋はかっこいいってコトだな。

 

和:たまに突き抜けてくるやばいやつはあるけど。

 

𩵋:それもあっていい!ネクスト!

 

そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって

 

和:非常に評の言葉選びが難しいんだけども、いろんな不条理を無化していく歌だと思った。

 

𩵋:いやこれほんとに意味がわからんかったのよ。難しい言葉選びのなかでいいからちょっと噛み砕いてほしい。

 

和:まず構文として「そりゃ○○はえらいよ、でも○○だってがんばってるんだよ」みたいなのがあって、〈そりゃ男はえらいよ〉って来たらなんとなく主体は女なのかなと思う。で、大概この構文のやりとりって進展がない。飲み会の愚痴みたいな次元。それを逆手に取って、茶化したことを言っている。日本はやっぱ男ってだけで下駄をはく/はかされることが多いけど(この言い方もあんまり好きじゃない)、それは女が権利やそこまではいかない些細なことでも割を食っているから。そこでさっきの構文に、東京タワーのことなんだろうけど〈三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって〉という〈えらいよ〉に対応するには意味不明なことを言うことで、「男のえらさ」を問かけなおしているように読める。東京タワーが出てくるのが象徴的で、こういう読みを可能にしているんだと思う。そういう意味で、不条理を無化する歌だと思った!単純にウルトラマンに変身する歌として取ってもいいと思います!

 

𩵋:すごい理解した。シンウルトラマン楽しみだね〜あれ予告みたけど庵野えらいな〜ってかんじだった。

 

和:カラータイマーとっちゃったからな。ぬるっとしたでこわい。


𩵋:〈高さがある〉の無機物への眼差し感やばいな。

 

和:公開が楽しみですね。てか庵野って石川啄木レベルで後世に残る作家だとずっと思ってたんだけど、シンエヴァ終わってからマジででかい仕事しまくりで本当にそうなるんだろうなと確信した。

 

𩵋:ほんまにな。

 

ベビー服のうえを模様が通りすぎ赤ちゃんはみな電球のよう

 

𩵋:通り過ぎている模様はベッドメリーのことでいいかなと思うんだけど。……そういえば最近亡くなったクリスチャン・ボルタンスキーのモニュメントシリーズを思い出しますねって感じだった。(みんなも検索してみよう!)これね

和:ふむ、たしかに電球だ。

 

𩵋:ボルタンスキーはアイデンティティに生と死を強く持っていて、ていうのは両親がホロコースト世代のユダヤ人なんだよね。

 

和:なるほど、ジェノサイドが背景にあるわけか。てかボルダンスキーの顔日本人っぽいな。

 

𩵋:電球や古着、遺品の入っていそうな缶箱とかをつかって死をいっぱいつくってきた作家なのよね。これ何年か前のボルタンスキー展の写真だけど、この山全部古着なのよ。

 

和:(展示の写真を見て)激良いな。

 

𩵋:歌に戻るけど、赤ちゃんとか命が光=電球って素直にわかりやすくて、でもここでもう一歩、「電球」とされると妙に納得させられてしまって、電源のコードだったりガラスの球体だったりなんとなく人体ぽいのかもしれない。赤ちゃんという未来への希望的な意味で電球ってこともあるだろうけど、妙に人体や生命として電球がしっくりきた。ちょっとダークファンタジーとかサイバーパンクみも感じつつね。

 

和:まあつやつやしてるしまるいし電球っぽい。

 

𩵋:ウンウン。

 

和:なんとなく大量生産されるものに人間が喩えられるとディストピアっぽくなるというか、ナチスとかソ連的なイメージが脳裏を過るから、ボルタンスキーを連想するのはけっこういい線行ってるかもね。

 

ねえ夜中のガードレールとトラックのように揺れよういちどだけ明るく

 

和:発話調なので誰かが誰かに向かってこう言ったってことなんだけど、数ある刹那的な欲望のなかからこのチョイスはエグいなと。比喩そのものの質感はドライなんだけど、〈揺れよういちどだけ明るく〉が既存の短歌的な可愛さを少し背負ってくれているおかげであんまり読者を置いてけぼりにしない構造になってる。

 

𩵋:なるほどね、自分は読みきれない感じがあったんだけどバランスを見ると確かに絶妙だ。ガードレールとトラックて揺れてるか揺れてないかの微かな動きだと思うから。

 

和:トラックと夜の道ですれ違うと、めっちゃ照らされながらぐわんと揺れるじゃない? 感覚としてはそれよね。この歌のいいところは内容は共感ベースではないのにこの歌の中の事象を体験できてしまうことにあると思う。未知7:既知3くらいの割合の出来事として。〈ねえ〉っていうやわらかな入り方もよくて、この歌集の中で突然くるとけっこう驚く。逆にひりひりした言葉に感じる。

 

𩵋:ああ、そう考えると結構揺れてるか。僕は車運転しててすれ違うイメージが強すぎたからそこまで地響きを読めなかったな、でも確かにこの句は歩いてすれ違うトラックとそれから身を守るにはあまりに薄いガードレールの揺れだわ。読めないと思ったのは、「いちどだけ明るく」が若干甘くみえたんだよな。でも可愛さを背負ってるっていう郡司くんの評でだいぶ手に掴んできた感じがするよ。

 

和:いちどだけ明るく」が甘くみえたのはある意味良い判断(?)だと思う。隙をつくってくれているわけよね。

 

なにもないように見えてもドアノブを意識しながらゆくべきだろう

 

𩵋:これなんかラヴクラフト味があるね

和:たしかに幻想怪奇の雰囲気が漂うな。

 

𩵋:これはもう単純に、わざわざ言うところがおもしろポイントで、やっすいホラゲやっててベニヤ板みたいなドアを開けるような感覚に近い。でもわざわざドアノブを意識してゆくべきなんだよね。意識しようじゃないところもなんかいい。

 

和:ドアノブっていわれたら自動的にドアのまぼろしもみえてくるのもいいな。……あ、ちょっと勘違いしてたかも。扉はあるのか。ドアノブがないような扉でもドアノブを意識しながらあける(ゆく)ってことか? あれ????

 

𩵋:え、あえ? なにもない→ドアもないorなにもない→ドアになにもついてないってことか。あ、なんかわかんなくなってきた。ラビリンス入りしそう。まじでラヴクラフトじゃん。

 

和:どっちだと思ってた?

 

𩵋:いやドアはあった。でも言われてみれば暗闇で手探りみたいな感覚もあるんだ...さっきと言ってることがあべこべだけど。もはやドアがあるのか何が見えていて見えていないのかそれすらもわからないけど何故かドアノブを意識しながらすすむべきって言われちゃってる。ちょっとずるいかもしれないけどなんかこういうないことをあるようにしてしまう動作って日常にあるなって感じはする。

 

和:たしかに生きていると、存在していなくても常に意識せざるをえないものがあるよな。つかなんか、ようはメメントモリのドアノブバージョンなのかなと思ったら急にウケてきた(笑)。

 

𩵋:それいいな、それいいそれいい(笑)え、ノーランのメメント

 

和:ふつうに「死を忘れることなかれ」のほう。ノーランのやつ観たいわあ。

 

𩵋:なんかノーランのメメントモリ読みでもかなりおもしろいかもこれ(笑)あの予定調和感というか数合わせ感というかなんというか(笑)。

 

和:メメント観るか……。ドアノブを忘れることなかれ。

 

𩵋:(笑)

 

いつか死ね いつかほんとに死ぬことのあいだにひしめく襞をひろげて

 

和:ツンデレっぽい歌なのかなあと。「生きててほしい」的なことを真顔で言う歌は山ほどあるけど、意外とこういうツンデレは見ない気がする。いつか死ねってことはそれまでは生きろってわけだよね。

 

𩵋:いつか「死ね」か。なるほどなあ。

 

和:そのうえで、いつかほんとに死ぬことを「襞」のイメージで捉えるあたりに生々しさがある。

 

𩵋:たしかに、襞って蛇腹になってる人生の年表を意味させつつ、人体の一部も想起させるね。

 

和:そうね、人生のメタファ~っぽい(けっこう分かりやすく)。その襞をひろげるってなんか人生をのっぺらと一望する感じがして、ちょっと残酷みがあるけど読んでて気持ちいいポイントよね。「死ね」って超絶シンプルに強い言葉だけど、「いつかほんとに死ぬことの」で少しやわらかくなるのも全体の印象を良くしてて、読者層のレンジをうまくひろげていると思う。

 

𩵋:たしかに、見落としてた歌だったんだけど、いつか「死ぬ」で誤読したんだよね(笑)

 

和:いつかは死ぬなそりゃ。

 

𩵋:そうそう、いつか「死ね」で読むとすごく面白いと思うから勿体無いことしたなあまあ気づけてよかった。

 

和:こういう気づきも二人で読み合わせる良さだね。

 

歯みがきのときだけ感じる指揮台があるじゃない、ほら、わたしたちには


突然URLを叫び出すヤバいやつ:https://youtu.be/75Ww4CcRyYI !!
RIPSLYMとくるりのユニットで『ラヴぃ』っていう曲があって、「一緒に歯磨こうよ」ってリリックがあるんだけど、ここがめちゃくちゃ気持ちよくて好きで、そして僕は彼女や友達と旅行したときに一緒に歯磨きをすることがやたら好きなんですが、もしかしたら特殊性癖かもしらん。

 

和:それはばちぼこわかる。

 

𩵋:歯磨きのリズムがあっていく感じが指揮台だって言ってくれてうれしいなって感じしたんだよね。

 

和:朝イチに鏡で自分をみるときって、不思議な高揚感があると思うんだけど、それを指揮台って言葉をよく見つけてきてはめたなーと。
わたしたち、なのもおもしろいな。指揮台に立つのってふつう一人だと思うから、二人以上だとそういう発想になかなかならなそう。

 

𩵋:あああ確かにな。

 

和:この歯磨きが朝なのか夜なのかでも雰囲気がちょっと変わっておもしろいな まあどっちかっていうより、円環って感じだけど。

 

𩵋:あ、それいい。朝だと清涼感があるぶん歯磨き粉感強いし指揮のスパイシーさも変わってきそうだから。

 

和:スパイシーってなかなか独特な評やな。

 

𩵋:最近開拓したのよ。みんなも真似して欲しい。ちょっとカッコイイとかクールよりちょっと弱いそういう方向性をスパイシーっていうの。

 

和:ちょっと次の句会歌会で使うわ。

 

𩵋:お、こいつなんかイイ評するなってなるよ。

 

和:この句、スパイシーだね。

 

𩵋:wwwww そう言うと途端にうざいな。

 

和:メンソール効いてるね。

 

𩵋:どんな句だよ。

 

セーターはきみにふくらまされながらきみより早く老いてゆくのだ

 

和:経年劣化の歌だけど、「のだ」が核だと思うんだよな。〈老いてゆく〉の擬人化はゆるくみえるっちゃみえるけど、なんか「のだ」が持つ「ちょっと小ボケつつも真面目な感じ」が詠嘆に近い読み味を出しているというか、文語じゃないと出すのが難しそうな余韻をやってるのがおもしろかった。

 

𩵋:おお、いいね

 

和:「のだ」って変だよな。

 

𩵋:今回ずっとよんでて思ったけど、そういうの多かった。

 

和:へけ

 

𩵋:モチーフや言い回しに面白みがあるというか、語感とか語尾の遊び、余白?余裕? そういう良さが目立ってた。その点この歌も「のだ」がいいよね、時代感だけそこはかとなくハルヒだね......。

 

和:「のだ」じゃなくて「んだ」って言うよな、自然にしてると。でも「んだ」だとなめらかすぎるというか、「のだ」の違和感、フックが「けり」的な印象に繋がっているんやろな。

 

𩵋:おおおおおお「けり」ね。「けり」かもしれない。

 

和:や、かな、けりでいったら、けり、やろなあ。

 

𩵋:〈老いてゆく〉ことを実際に経験した過去がありそれを誰かに解説してる口調ぽくて、ということは意味的にも「けり」ぽいやん、ウケるな。

和:発見しちゃったな。

 

𩵋:みつけてしまったのだ

 

和:みつけてしまったことだなあ……。ではこれでおしまいですかね。

 

𩵋:おーつかれい!毎回言ってるけど今回かなり自由に喋ってよかった!!

 

和:またこんど~!